子宮がん・卵巣がん患者サイト「うさぎの本宅」

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術後6年2ヶ月目

2006年06月01日 珍問答?

常用している薬がなくなったので、坂の上病院の内科を受診。

Dr「具合はどうですか?」

ぴ「良くもなく、悪くもなく、です。相変わらず、身体がだるいし。最近は夕方になると熱っぽい感じがするんですが、体温を測っても平熱なんです」

Dr「ふ〜む。どこが悪いんだろうね?」

ぴ「………。それは、先生が決めることではないんですか?」

Dr「あはっ。そっ、そうだね…」

ぴ「左足の鼠蹊部も痛くて、左足全体がなんかヘンなんですが、腫れてはいないんですよね〜。でも、そんなわけで動くのがイヤだから動かない、たまに動くと疲れる、さらに動かないの悪循環です」

Dr「左足に何か病気あるの?」

ぴ「………。私は、骨盤内リンパ全郭清してるんですよ!?」

Dr「あっ! そうだった…」

いい加減、カルテ見ろや。

今まで使っていた利尿剤では手首と足首から先の浮腫みをコンロールできなくなってきている。
手持ちの指輪は全部入りません。
利尿剤の量を少し増やしてくれた。

ラッキ〜。
これから夏だしネ♪


2006年06月03日 お嫁さま

義父は今月中に退院になりそう。
病院側から義父に対して「10日にどうですか?」と、軽いタッチではあるけれど意向伺いが来たそうだ。
ちょうどその頃、旅行の予定を組んだアホウがうちにいる。
数日前にその話を聞かされ、「一緒に行くか?」と尋ねられたけど、わたくしは「行かない」と答えた。
断っといてよかったよ。
ってか、ちょうどその頃退院になりそうって、少し考えればわかりそうなものだと思うんですけどね。

わたくしにとっては義父でも、アホウにとっては実父。
旅行日と退院日が重なったら、アホウはどうするのか、ちょっと見もの。
退院日にわたくし一人が病院へ行き、夫がなぜ来られないかの苦しい言い訳をしなければならないかもしれないと考えると、今からかなり憂鬱です。

「お父さんが入院しているのだから、仕事なら仕方ないけれど、遊びの予定、とくに泊まりがけの予定は入れられないよ。病院から急に呼び出された時、一緒に遊ぶ予定だった人にも病院にも、迷惑がかかるかもしれないでしょう?」と言い聞かせても理解できないようだ。
ヤツは5月にもノーテンキに泊りがけで田植えへ出かけ、わたくしはかなりひやひやしたのだった。
わたくしの墓碑銘には「人のために生き、人のために死す」と刻んでもらおうかと真剣に考える今日この頃。
それでも、他人さまからは「夫婦仲がいい」と評される。
ふぅん、そういうモンなのか〜。

退院後の義父は、しばらくの間、ヘルパーさんなどの人手を頼んで生活していくかなさそう。
介護保険が認められるかどうかにより、人件費にかかる負担割合が変わってくる。
義父は高齢のため、家の改装費も最終的にはある程度、行政が負担してくれる。
けれど、これがとってもわかりにくいシステムになっていて…。

介護保険で家に手すりをつける場合は、先に工事をしてしまってもOK。
高齢者福祉サービス(介護保険が認定されなかった場合)は、工事をする前に「工事をしたいんです」と申請し、OKが出てから工事に取り掛からないと工事費の控除が受けられない。
とかなんとか。

義父は、介護保険の認定結果を待って退院になる。
先に工事をして、介護保険はダメでしたとなると工事費を全額負担しなくならなければなるため、介護認定されてもされなくても、手すりの工事は退院後。
退院してから家の工事が終わるまでの数日か数週間、リハビリ施設に行く方法もあるけれど、義父は「退院したらすぐに家に帰りたい」と言う。
大丈夫なのかなぁ。

今日は、外出許可をもらった義父を家に連れ帰り、工務店の人に来てもらって改装の相談をした。
いろいろなところに手すりをつけなければならず、義父は「邪魔になりそう…」と心配している。
わたくし自身がそうだけれど、まだ若いつもりでも、身体はご主人さまの意思をなかなか反映してくれない。
ストレートにそう言うと角が立つので、お嫁さまは大変よん。
どうしても工事がいやなら、やらないという選択肢はある。
折れるのは、わたくしの首の骨ではないし。
でも、どう考えても、手すりがなかったら、義父はすぐに怪我して病院へ逆戻りするハメになっゃうと思う。
「初めの数ヶ月は、絶対に手すりが必要ですけど、いらなくなったら取っちゃうこともできると思いますよ」と、なんとかなだめすかして。

はぁぁぁ。

朝早く起きて、車で2時間かけて病院へ行ったのでくたくた〜。


2006年06月04日 ふぅん

夫「今度の旅行は延期にしました」

ぴ「あっ、そう」

夫「仕事が忙しくなっちゃってケリがつきそうにないし、親父のこともあるしね」

ぴ「ふ〜ん」

本当に仕事が入ったのか、ここを読んでわたくしの剣幕に恐れをなしたのか、父親の入院中に旅行へ行くのはさすがにまずいと思い直したのか。
もしかしたら、夫の知り合いのどなたかがここを読んでいて、夫に「旅行はまずいよ」と言ってくれたのかもしれない。

今回は丸く収まりそうだけど、ほんとに少しは学習してくださいよ。
ってか、学習しやがれ、って感じ。
一に家庭、二に実家、三に仕事、四五六七八あたりはなくて、九に遊びなのよ。
わかった?

冬春ものの服を少し片付けた。
そして、知った。
わたくしが去年の冬から春にかけて買ったのは、パジャマだけ。
やたら枚数が増えていた。
ほとんど寝たきりだったので、こんなモンなのかな。


2006年06月05日 友だち登録会

子宮癌・卵巣癌患者情報交換サイト「うさぎの本宅」の90万アクセス記念イベントは、Yahoo!メッセンジャーを使った「友だち登録会」にしようと思います。

わたくしは治療体験情報の質疑をお受けしている関係上、ある程度の数の患者さんの友だち登録があるのですが、その方たち同士のつながりがございません。
キャンサーメイトのメッセンジャー友達が欲しいと思っている方もいらっしゃるんじゃないかしらん?
そこで、イベント参加者同士(患者さんに限定する予定)でチャットしていただき、「この人とメッセンジャー友だちになりたいな〜」と思う人がいたら、各人の判断で友だち登録していただくってことで、どうでしょう。

PCを持っていればメッセンジャーは誰でも使えるし、メッセンジャーを入れていればある程度のメッセ友だちはできますが、自分と同じ病気のメッセ友だちは希少と思います。

義父のことがあるので、まだ正式なイベント開催日時を決めかねているのですが、2週間以内には開きたいと考えています。
友だち登録会に参加を考えている方で、Yahoo!メッセンジャーをPCに入れていない方はインストールしておいてくださいね。

あ、わたくしを友だち登録しておくのもお忘れなく。
でないと、イベント当日にコンタクトが取れません。

Yahoo!メッセンジャー http://messenger.yahoo.co.jp/

ぴょんぴょんのID usaginohontaku
 ←ここをクリックしても、ぴょんぴょんを友だち登録できると思います。

Yahoo!メッセンジャーのインストール、使用、友だち登録など、すべて無料です。
パソコンがあって、Yahoo!メッセンジャーがインストールされていれば、他に特別な設備(マイクなど)は何も必要ありません。


2006年06月09日 梅雨入り

当地は本日梅雨入りしました。
わたくしは去年の今頃、「梅雨になったら外出が大変なので、家にこもることが多くなるだろう。だったら床を磨いたり、壁紙を拭いたりするか…」と思い立ち、洗剤一式を用意したのでありました。

で、実際に梅雨入りしたら、ものの見事にだるだる状態がやってきて、「買った洗剤は暮れの大掃除用」と即座に予定を変更し、だらしな〜く寝込んでいたのでした。
暮れになったら、また寝込んでいて、つまり、洗剤一式はまだあるんです…。

今年の梅雨期間中に、掃除できるでしょうか。
このなんちゃってビンテージものの洗剤って、まだ使えるのかな〜?

本日の友だち登録会には11名の方が参加してくださいました。
どうもありがとうございました m(_ _)m
メッセンジャーの使い方がおわかりにならなかったようで、何回かお呼びかけしたのですが、コンタクトが取れなかった方も数人いらっしゃいました。
残念です (ToT)
でも、また機会はあると思いますので、その時はぜひご参加ください!


2006年06月10日 フェイドアウト

義父は介護保険が使えることになった。
とりあえず、よかった!

介護保険の申請のため、1ヶ月ほど前、わたくしが区役所へ手続きに行った。
区役所は平日の昼間でないとやっていないので、就業時間に縛られていないわたくしが行くことになったわけですが。
その時、義父から介護保険証を預かった。
区役所の介護保険課で申請書を書き、義父の介護保険証を見せたら「この介護保険証は区役所で預かります。提出していただいた申請書を審査して、その結果通知と共に郵送で返却します」と言われた。
それで、介護保険証は区役所に置いてきたんです。
先日、介護保険の審査結果と共に、確かに、新しい介護保険証は送られてまいりました。

が。
なぜか義父は、「ぴょんぴょんさんが健康保険証を区役所に持って行き、そのままでまだ返してもらっていない」と…。
わたくしが預かった「なんとか証」は1つだけ。
それは介護保険証だと思うんですよね。
健康保険証は、お預かりしていないんです。

健康保険証が義父の手元にないので、「ぴょんぴょんさんが区役所へ持って行き〜」という話になっているんじゃないかと思うんだけど、お父さん、健康保険証をなくしちゃったのかな?

入院期間が2ヶ月近くなる義父は、刺激の足りなさからか、少〜し、なんと申しましょうか、ボーッとしてきているようだ。
同じことを何回も聞いたりするし…。
まぁ、それは退院して自宅で過ごすようになったら改善されると思うけれど、健康保険証が見当たらないのが、現時点においてはわたくしの過失(?)になっているみたい。
ぶっちゃけ、気分はよろしくございません。
誰もできないから、わたくしが、ステッキを引きずりながらえっちらおっちら区役所まで手続きに行った結果がコレですわ。
やることをやってきた結果がコレですわ。

実の息子が二人もいるんだから、こういう重要な手続きは、これからは息子のどちらかに仕事を休んで行っていただくことにいたしましょう。
なにかマズイことが起こっても、実の息子がやったのと、嫁のわたくしがやったのとでは、義父の心もちも違うだろうて。

だからといって「わたくしは何もしません」ってわけにはいかないと思うし、しないつもりもないけれど、表舞台からはフェイドアウトさせていただくのが一番いいって。
関わり合いにならなければトラブルは起きないのだから、お互いに嫌な思いをすることもない。
義理の関係というのは、こじらせると修正が大変ですからね〜。

お見舞いとかおつかいなど、義父の身の周りの世話で簡単なことは、今まで通り頼まれれば、わたくしのできる範囲でちゃんといたしますよ。

わたくしの性格的なものだと思うんですが、「ものをなくした」と言われるのは、「だらしない」「いい加減」と言われているようで、はひふへほ〜。

健康保険証はどこにあるんでしょうか?
胃が痛くなって来ました (ToT)


2006年06月11日 だからさ〜

やるのがイヤなんじゃないんだってば。
何かすることによって、わたくしの預かり知らないことの責任まで被せられるのが、はひふへほ〜なんだってば。
それで修復不可能な関係になっちゃうこともある。
だったら、わたくしは裏方に回って、表には出ていかない方がいいんじゃないの?と言ってるわけ。
義理の関係がこじれたら、あなたの抱えてることに問題が一つ増えるんだけど、そこんとこわかってますかね?
親切にも、事前に回避しようとしてあげている(←あえてこう書く)んだから、もうちょっと真剣になれや。

つらつらと考えた結果、「義父の健康保険証はあそこにあるんじゃないか」と、思いあたる場所が…。
そのことを夫に言ったら「じゃあ今度見てみよう」って。
ちょっとカンベンしてくださいよ。
健康保険証が見つかるまでは、紛失犯=ぴょんぴょん になってるので、落ち着かないんです。
気分悪いんです。

今度?

ふざけんな〜 (ノ-_-)ノ ~┻━┻

へんてこりんな気持ちになっているのは汚名(?)を着せられているわたくし本人だけなので、夫にはわかんないだろうと思うけれど、想像力のない人だなぁと思う。

夕方になって、義父の健康保険証がわたくしの推理した場所にあったことがわかった。
わたくしのかわいそうな胃袋が本気で具合悪くなる前に見つかってよかったよ〜。
嬉し泣き。


2006年06月14日 危機的状況

だいぶ動けるようになった義父は、入院生活にも飽きたのだろう。
一日も早く退院したがっている。
わたくしもできることならそうさせてあげたいけれど、自宅の改装、こまごまとした介護用品の選定と購入、日々の食事、ヘルパーさんや通院時の車の手配など、1日2日ではすべて終わりそうにない。

受け入れ体制を整えるこちら側の事情だけを申し述べると、みんな平日は働いているし住まいも離れているため、会ってゆっくり話し合う時間が持てない。
そこで、今度の土日にでも子供一同で顔をつき合わせて見解の合意や再確認を行ない、介護サービス業者とも直に会って決定を下し、退院の準備を整えようと思っていた。

ところが病院側から「そろそろ退院してもいい」と言われた義父は、この週末に退院と決めてしまった。
退院してもいい = 元通り ってわけじゃなく、家に帰ってきたとしても自分のことが自分でできない状態なんですが…。
受け入れの準備には時間がかかるものもあり、商品には取り寄せするものもありなんだけれど、以下省略。

いやはや、完全に準備不足。
退院後にどんなことが起きるか、考えるだけで恐ろしい。
いちおう、デメリット部分は義父に申し述べました。
「それでもいい」と言われました。
だけど今までの例から察するに、蓋を開けたら「やっぱりこれでは困る…」と言い出すのは火を見るより明らかなので、以下省略。
わたくしのかわいそうな胃袋は、再び危機的状況に陥ってまいりました。
快気祝いも、いくつか案を用意して、義父に見せないといけないんだった。

まぁ、人生にはこんな時期もございますわね。


2006年06月16日 お腹、秋祭り中

ぴ〜ひゃらぴ〜ひゃら。

いきなりですかい?
しかも、素敵に痛い。
もう笑うしかない。

明日は、義父が退院します。
他のところだったら行かないけど、病院だから行きますわ。
ぶっ倒れても、即座に処置してもらえるっしょ。

まぁ、ものは考えようってことで (;^_^A


2006年06月18日 義父の退院狂騒曲

6月17日

6:30
起床。
昨日の秋祭りは治まったけれど、お腹はまだちょっと痛い。
さらに、脱水のせいかだるい。

7:30
自宅出発。
途中、ナースステーションへ渡すちょっとしたお菓子など、いくつかの品物を買い整え、義父の病院へ向かう。

9:30過ぎ
病院着。
荷物をまとめたり、ナースステーションへ挨拶に行ったり、退院後の通院日を確認したり、Drから退院後の注意事項の説明を受けたり、とんちんかんな義父の話の方向修正をしたり、すでにどっぷりお嫁さまモード。
車に揺られたり、動き回ったせいか、お腹の痛みup。
しかめっ面で世話をされるのでは義父も居心地悪かろうと思うので、痛いとも言えず、辛そうな顔もできないけれど、いつまで普通の表情を装えるかなぁ。

10:30
病院発。
義父の家へ向かう。
車中で、とんちんかんな義父の話に夫がイラついているのが分かる。

義父の場合、「とんちんかんな話」と言っても、痴呆でわけがわからなくなっているのとは違い、物事の優先順位が読めていないのである。
今、真っ先にしなければならないことについて皆で話している時に、「そう言えば…」と優先順位5位の話をはじめるので困ってしまう。
優先順位5位と言えども、本人は今それが一番気がかりなので、話を聞いて答えてあげないと満足しない。
仕方なく優先順位5位を片付けて優先順位1位に戻ると、今度は3位の話をはじめるといったあんばいで…。

わたくしはず〜っとソレに付きあっているので、夫よ、アンタも頑張れや。

路面がガタガタすると、お腹の痛みが増す。
工事中の道の多さに、こっそり腹を立てたりする。

10:40
義父宅着。
義父が入院した時、冷蔵庫の中はカラにした。
午後からは、介護関係の業者さんが打ち合わせと商品納入に来る。
買物に行って食事を作っている時間はないので、荷物を置いて少し休んだら、昼食は外で済ます話になっていた。
家に入った義父は、溜まった郵便のより分けやその中身に夢中となり、食事前にしなければならない血糖値の測定やインシュリン注射はそっちのけ。
そのうち、「お昼の注射、今日はしなくていいかな」と言い出し、わたくしは頭を抱えた。

この分だと、近い将来、勝手に注射回数を減らしたりするかも。
糖尿性昏睡→死亡の構図が脳裏に浮かぶ。
これから夏なので、発見が遅れれば腐乱死体となる。
わたくしは、実父が腐乱死体で発見されていろいろと大変だった(うさぎの本宅の「ぴょんぴょんのがんになっちゃった!顛末記」をご覧ください)ので、2度目は本気でカンベンしていただきたいです。
しなければならない注射をサボった挙句、具合が悪くなったり死んだりした面倒までは、ちょっと見きれない。

義父の頭の中は、郵便と、宅配便の不在通知と、毎月配達してもらっていたなにやらの健康食品はもういらないので断った方がいいかなということでいっぱい。
インシュリンは、注射してだいたい何分後に食事と決められているため、注射を打たない限り食事には行けない。
午後の来客時間は決まっている。
夫が再びイラついているのが分かる。
わたくしはず〜っとコレに付きあっているので、夫よ、アンタもさらに頑張れや。

11:30
やんわりと義父をせっついて、血糖値の測定やインシュリン注射を済ます。
義父は怪我が完治するまで、外を歩く時は足に装具をつけ、松葉杖を使うことになっている。
装具一つとっても、つけるのはなかなか大変そう。
ご近所に退院の挨拶をしなければならないので、外食のために装具をつけたのをいい機会とばかり、両隣と向かいの家へは「今、帰って来ました」と顔を見せることにする。

話が長くて、まいった。
義父も退院したばかりで、まだ疲れやすいと思うし、松葉杖での立ち話はけっこう大変なんですよぅ。
インシュリン注射もしちゃったんですよぅ。
後の予定が詰まっているんですよぅ。

じいさま、ばあさまへ。
ご自分の話はいいので、「今日、退院しました」「あっ、そうですか。どうぞお大事に。お疲れでしょうから、今度またゆっくりね」と、簡単に済ませていただくことはできませんでしょうか?

12:20
やっとこ昼食に出発。

昨日はぴーこちゃんで腹痛だったけれど、今日は詰まっているので痛いっぽい。
わたくしの立場として、今日は、入院したり死んでいない限り何もしないわけにはいかないので、できるところまでやるだけ。
食べないと不審に思われるので、軽めに済ます。
そんな量でも、本当に腸閉塞を起こしかけているのだったら自殺行為だと思うけど、今のわたくしには「食べて何でもないふりをする」か「食べないでヘタレを露呈する(後で何を言われるかわからない)」のどちらかの選択肢しかない。

13:00
義父宅着。
わたくしも夫も、義父の家の鍵を持っていない。
義父から「合い鍵を作ってくれ」という話もなかった。
こちらから「合い鍵が欲しい」と請求し、痛くもない腹を探られることもあるまいと今まで言い出さなかったため、家の中を点検できるのは義父のいる時だけ。

これから介護関係の業者さんが来る。
なにはともあれお茶の用意をしなくては。
お茶器セットを確認したら、茶渋がこびりつき、すごいことになっていた。
とりあえず、お茶器セットを漂白剤に投入。
これは、しばらくつけておかないとだめだ。

トイレに入って、イナバウアー並みにのけぞった。
義母が生きていた時、この家のトイレは白かった。
義母の没後はオレンジ色になっていて、わたくしは数年前、決死の思いで掃除したのだった。
しかし、その努力は報われなかったようだ。
今日は、素敵なブラックストライプになっていた。
全部カビでございます。
トイレ用洗剤がないところをみると、1度も掃除していないんだろう。
急遽、トイレ用洗剤を調達し、再び決死隊となって擦りまくる。
時々、跳ね上がった水が手に掛かり、背筋がゾ〜ッとする。
これは生理的な反応でしょうか、それとも、熱が出てきたんでしょうか?
洗剤1本使い切っても、まだところどころに汚れがある。
洗剤がないので、今日はもうどうにもできない。
明日からはヘルパーさんが来てくれるので、その手腕におすがりすることにいたします。

義父は怪我が治るまで、家の中では歩行器のようなサークルを使うことになっている。
両手がふさがってしまうので、ものは持てない。
やかんで沸かしたお湯をポットに移すこともできない。
使っていない電気ポットを出すことにした。
キッチンラックの下段奥にあると言われ、しゃがんでラックの下段を探す。
ラックの向こうの床が見えた。
一面にゴッキー取りが置かれ、その中にいる黒い背中もチラッと見えた、と思う。

ぎぇぇぇぇぇ。
これはイカン。
これはキケン。

わたくしは虫が大嫌いで、とくにゴッキーは絵を見ただけでもダメなのでございます。
黒い背中を目撃して腰が抜けそうになり、床に座りこんだ次の瞬間、「あいつらがここを歩いたかもしれない」と閃き、飛び上がるように立ち上がった。
わたくしは、気絶することも許されていないようです。
義母が亡くなった後、ここを少し整理した時にはネズミ捕りまで出てきたっけ。
このキッチンは怖い、怖いよぉぉぉ (ToT)
明日から来てくれるヘルパーさんが、この状況に耐えられるといいんですが…。
本当に申し訳ない。

気を取り直し、お茶器セットを洗い、きちんと包装された新品のタオルを見つけ出して拭く。
キッチンタオル掛けや食器棚の引出しにはタオルがあるけれど、「あいつら」が歩いたかもしれないので、怖くて使えません。
鳥肌全開。

冷蔵庫の前面全体にも汚れがつき、芸術的な白黒ブチ模様になっている。
拭く。
使ったタオルを洗って再使用する気になれず、ってか、普通に手洗いしたくらいではきれいになりそうにないので、そのまま捨てる。
ゴミ袋がタオルでいっぱいになりつつある…。

義父のベッドを整えていた夫は、シーツが擦り切れて、体のあたる部分全体が変色しているのを見つけた。
替えのシーツ類や布団カバー、枕カバーも同じ状況。
洗ってはいるみたいだけど、長期間の使用で布がヘタリきっている。
目の悪い義父には「きれいで穴がないシーツ」に見えたのだろう。
義父は「いただきもののシーツ類がたくさんある」と言うので、押入れの中を探す。
贈答箱に入ったまま変色しているビンテージものが、ぞくぞくと出てくるのみ。
これは、あとで買ってこないとだめだ。

キッチンもトイレも寝具も、年を取ると回りがもっと気を付けてあげないといけないなと思うけれど、相手のプライドもあり、難しいですね〜。

14:00過ぎ
介護用品のレンタル、介護サービスの関係者が相次いで来訪する。
打ち合わせでは、義父の「とんちんかん話」が炸裂。
義父は話の内容が理解できないとわたくしの顔を見るし、業者さんも話の進め方に困るとわたくしの方を見る。
話の方向修正に腐心。

わたくしは、だんだんひどくなってくる自分の腹痛だけを考えていたい状況なんですが…。
ぶっちゃけ、辛いっす。

家の中の歩行に使うサークルの高さなどを業者さんに調整してもらう。
身体に合った器具で、義父も快適そう。
よかった!
しかし義父は、とんでもないサークルの使い方をはじめてしまい、一同で頭を抱える。

サークルは、自分の前に置き、前進して使う。
ところが義父は、自分の前に置いたサークルを引きずりながら後退もする。
なんで??
サークルに座る。
なんで??

「そういう使い方をするものではないので、後退中につまづいたり、サークルに座って落ちたら、たぶん仰向けに倒れます。後頭部を打ってしまうかもしれませんよ」と、ソフトに言ってみた。
それでも止めないで本当に怪我したり死んだりしたら、それはもう自己責任ってことで、以下省略。
インシュリン注射といい、道具の使い方といい、この人はこれからあまり長く生きていられないかもしれない。
注意事項を守らなかったための事故死となれば、もう仕方ないと諦めるより他なさそう。

義父の言動に、夫がイラついているのがわかる。
わたくしはず〜っとアレに付きあっているので、夫よ、アンタもたまには、わたくしにも増して頑張れや。

15:00
明日から来る予定だったヘルパーさんが、今日から来てくれることになった。
義父の好きな食べ物や嫌いな食べ物、メニューの希望など、はじめの1時間は打ち合わせ。

再び、義父の「とんちんかん話」が炸裂。
「明日の夜は何が食べたいか」という問いかけに、「嫌いなものはこれとこれ。好きなものはこれとこれ。何々をこうやって食べるのが好き」と答えるのはいいとして。
「じゃあ、○○を作りましょうか」と決まりかかったところへ「たまには、鶏の唐揚げとかコロッケもいいですね」って。
気を遣ったヘルパーさんが「じゃあ、鶏の唐揚げにしましょうか」と言うと、「家では揚げ物は作らないでください。火事になると困る」。
ヘルパーさんが「わかりました。じゃあ、揚げ物を買ってきましょうね」と答えると、今度は「煮魚なども食べますよ」。
これではいつになっても明日のメニューは決まりませ〜ん。

ヘルパーさんは「明日」という限定の話をしているのだけれど、義父にはそのあたりの雰囲気が読めず、自分の好み全般の話をしている。
ってか、この人は入院するまでこうじゃなかったんだけど、ちょっと痴呆入って来ちゃったかなぁ。

今日の午後に受けた説明の中ですら、義父はすでに覚えていないものがあるらしく、「あれは、どうすればいいんだっけ?」と聞く。
明日から大丈夫でしょうか?
またひとつ、考えなければならないことが増えた…。

16:00
ヘルパーさんには、明日から使う食材などの買物に行ってもらった。
洗剤も食材も、一番頻繁に使うのはヘルパーさんなので、自分が使いやすいものを買ってもらうことにした。
明日から、どうぞよろしくお願いいたします。

16:30
お見舞いをいただいた方へのお返しについて、義父と相談。
デパートからカタログを取り寄せ、商品や発送をデパート側に手配してもらうことに決定。

したはずなんだけど…。

義父が「近所へは配送でなく、手で持って行きたい。松葉杖では荷物が持てないから困った」と言い出したので、夫とわたくしがいる今日、ご近所へのお見舞い返しは済ませてしまうことになった。
義父はさらに、「来週早々、怪我で初めに受診して救急車を手配してくれた近所の医院へ挨拶に行きたいけれど、手ぶらでは行けない。手土産を買いに行くことも、持つこともできない」と言う。
そこで、父の日の贈り物としてリュックをプレゼントすることにし、そのリュック、ご近所へのお見舞いお礼の石鹸、医院への手土産のお菓子、黄ばんで捨ててしまったシーツ類の代替、退院祝いのささやかな夕食などを買いに行くことにする。

17:00
買物に出発。
もう、お腹痛いの最高潮って感じ。
少しでも身体を動かすと腸内にある「何か」も動いて、刺すように痛い。
脂汗が出てくる…。

石鹸やお菓子の詰め合わせは1つが2500円相当。
素晴らしく重いです。
リネン類。
かさばって、これまた重たいです。

荷物の多さと重さに夫がウンザリしているのがわかる。
わたくしはず〜っとソレに付きあっているんです。
夫よ、アンタはわたくしより先には逃げられませんよ。

買った品物が入った手提げ袋を周囲に並べ、贈答品コーナーで熨斗と包装ができあがるのを待ちながら溜息をついていたら、係の人が気を利かせて「買った荷物をまとめて駐車場まで運んで預けておきましょうか? 他に買物があったら行ってらしてください」と言ってくれた。
うぅ、ありがとうございます。
すっごい助かりました。

身軽になったところで、地下の食品売り場に直行。
夕食は、病院の食事ではなかなかお目にかからないもの = お寿司にした。
野菜の煮物も、でき上がったのを買っちゃった。
素材から煮ている時間がない。
お吸い物用の吸い口も買った。
これは自分で作ります。

18:50
義父宅着。
夕方の常で熱っぽい。
お腹も相変わらず痛いです。
もうフラフラで、買った荷物を放り投げて家に帰れればどんなにいいかと思うけれど、以下省略。
夫がご近所へお見舞いお礼を配っている間に、夕食の準備。

大量のゴッキー取りを見てしまった後なので、キッチンにあるお鍋、お皿、調理器具のすべてが気持ち悪くて仕方ない。
シンクの扉や引出しを開けるのが怖い。
今回使うものを選び、漂白剤と洗剤攻めにし、熱湯を掛けまくった。

19:20
夕食。
義父は言われなくてもちゃんと血糖値を測り、インシュリン注射を済ませていた。
これからもこの調子でお願いいたします。

20:10
夕食終了。
義父は普段、使う食器が決まっている。
食事が終わると洗って水きり籠に伏せ、次の食事でそれを取り出してまた使うというルーチンをこなしていた。
それらは2ヶ月間、水きり籠に置かれたままだったので、今日の夕食で使った食器と共に洗い直すことにする。

水きり籠からすべての食器を取り出しはじめると、いやな予感が…。
食器がなくなるにつれ、籠の全体が見えてくる。
不気味に汚れていた。
籠に付着した黒いテンテンが不隠な雰囲気を醸し出している。
食器をすべて取り出すと、水きり籠の底にゴッキーの足が落ちているのを発見!

わたくしは速やかに気絶しそうになり、キッチンから飛び出した。
夫を呼んで、籠を洗ってもらう。
その後、漂白剤を駆使して、籠をどうにか使える状況に。
今日は洗剤や漂白剤の売上にかなり貢献したと思うので、メーカーさんはわたくしへお中元を送ってくださってもよろしくてよ♪ (え?

ヘルパーさんは、いろいろな扉を開けるから、もっと恐ろしい状況に遭遇するかもしれない。
本当に申し訳ございません。

リアルライブなゴッキーが登場するかもしれないと考えると恐ろしくて、心臓をバクバクさせながら、驚異的なスピードで皿洗いや片付けを終わらせた。
わたくしの最短記録が出せたと思う。
お腹の痛みに加え、胃まで痛くなって来た。

21:30
義父宅発。

やることはやった。
文句ある奴は、身体に10kgの重りをつけて、今日わたくしがやったことと同等かそれ以上のことをやってみてから言って来いって感じ。

普段は混んでいるのであまり使わない高速道路も、この時間になると空いている。
雨の高速を自宅へ向かう。
お腹が痛い。
胃が痛い。
車のちょっとした振動でも辛い。
もう我慢する必要はないので、車中で「痛い痛い」と大騒ぎ。

はぁぁぁ〜。

しかしな〜。
あのゴッキー邸宅は、どうしたらいいんだろう?
夏は絶対に行きたくない。
恐ろし過ぎる。
冬は行ってもいいけれど、長居はしたくない。

衛生状態が保てない義父を独り暮らしさせるのは、もうムリなんじゃないかと思ったりする。
だけど、義父の望む自分の幸せや満足と、わたくしや夫が考える義父の幸せや満足には確実にギャップがあるはず。
こちらの意見を押し付けることはできないのだから、ご近所に迷惑をかけない限りは、このまま見守るしかないのかな…。

22:30
自宅着。
出かける時には確かに消したテレビがついていて、猫が画面を見ていた。
びっくり仰天。
「これ、こんなになっちゃってるんですけど…」とでも言いたげに振り向いた猫。
慌てて家の中を確認。
誰かが侵入した気配はないので、猫がテレビリモコンを踏んでしまったのだろう。

23:00
着替えて、テレビを見ながら乳酸飲料と下剤を一気飲み。
今日は利尿剤を使っていないので、手首と足首から先がパンパンに浮腫んでいる。
左太腿も、ちょっと来てます。
だっは〜。

24:00
就寝


6月18日

1:00
お腹の「秋祭り」が再開 (ToT)
昨日は宵宮で、本日が例大祭か?
詰まっていなければ、それでいいです。


2006年06月21日 会ってみたかった人

近藤紘一さん。
自ら「インドシナ屋」と記されているように、サンケイ新聞の記者として、ベトナム戦争の報道に深く携わった。
「サイゴンから来た妻と娘」「バンコクの妻と娘」「パリへ行った妻と娘」などの著書がある。
昭和15年生まれとのことなので、わたくしの親とほぼ同世代。
わたくしはたぶん、子持ちのベトナム人女性と結婚した彼の子育て考に、「自分が理想とする父親像」を見ていたのだと思う。

勤めていたある日、会社で朝刊を開くと近藤さんの訃報が載っていた。
45歳、胃癌により逝去。
戦争により祖国ベトナムを離れ、言葉もろくにわからない日本へ来た奥さんと娘さんはこれからどうするんだろうと、他人事ながら心配になったのを覚えている。
わたくしは、自分の上司の経歴を思い浮かべた。
もしかしたら、近藤さんと面識があったかもしれない。
上司に「近藤紘一さんをご存知ですか? 亡くなったそうですが」と伝えると、「えっ…!?」と絶句した後に慌しく何本か電話をかけ、お香典の話などをしていた。
憧れの人が亡くなってしまったこと、自分と近藤さんとの間に上司を通じて「細い細い繋がり」があったんだとわかったことなどを、その日一日、呆けたように考えていた。

1983年8月下旬、わたくしはいろいろとあって、フィリピンのマニラにいた。
ホテルのバーのように暗い空港。
熱帯特有の湿って生暖かくまとわりついてくる空気。
憔悴したような、やる気がないような表情を浮かべた人が時折見せる、狡猾そうな目つき。
正規のポリスグッズを「買わないか?」と持ちかけてくる警官。
小娘のわたくしが、現地の大人たちから「ma'am」(女主人に対する敬称)と呼ばれることに対する戸惑い。
夜、車の中から眺めた街は、ギンギラギンのジプニーと怪しげなネオンが溢れる猥雑で蠱惑的な雰囲気。
その頃、「日本人は、安全と水はタダだと思っている」と言われていた。
平和ボケした脳みそと身体は、一時も気を抜けそうにない緊張感を強いられて悲鳴を上げ、そして、客を引く女性と買っているらしき日本人のおっちゃんを目の当たりにして、同じ日本人として恥ずかしく申しわけなく、とにかく居心地が悪かった。

ホテルの客室でテレビをつけると、ニュースキャスターらしき人と空を飛んでいる飛行機の写真が交互に映った。
早口のタガログ語と、もしかしたらスペイン語。
全然わからない。
大韓航空機が撃墜されたと知ったのは、ようやく翌日になってからである。

数日前にベニグノ・アキノ氏がマニラ空港の滑走路上で暗殺され、ノンポリのわたくしにも、フィリピンは、とくにマニラは今ヤバそうだという認識はあった。
逃げ出す算段をしている最中に起きた飛行機撃墜事件にびびり上がり、わたくしは混迷していた。
そして、フィリピンも混迷のるつぼと化していた。
あの異様な雰囲気は、今でも忘れられない。

昨日、久しぶりに近藤さんの著書を読み返し、彼がアキノ氏暗殺事件の時に1ヶ月ほどフィリピンで取材活動をしていたと知った。
あの時、近藤さんとわたくしは、確かに同じ街の空気を吸っていたのだ。
ただそれだけのことだけれど、「細い細い繋がり」が少し昇格して「細い繋がり」になったようで、わたくしはまた、近藤さんのことをしばし考える。

やはり、一度でいいからお会いしてみたかった。


2006年06月22日 そろそろマズい予感

冬バテ5ヶ月。
春になってやっとリカバってまいりましたが、なんだかな〜。
そろそろ梅雨バテ(?)に突入する予感。

ここ数日、夜になると夫から「ぴょんぴょんは熱がある」と言われる。
確かに、35度台の平熱が36.6度くらいまでは上がっているし、寒気がしたり、ぼよよん感がありで、多少は不快なんです。
でも、これで「微熱が続くんです」と受診してもなぁ。
診察室でのやりとりがどんなものになるか、想像できちゃうんですよね…。

↓たぶん、こんな感じ。

なんちゃって膠原病持ちのわたくしは、微熱で受診するとしたら膠原病専門医が適当と思われる。

ぴ「微熱が続くんです」

Dr「何度くらい?」

ぴ「36.6度…」

Dr「(* ̄m ̄)プッ」


↓または、こんな感じ

ぴ「微熱が続くんです」

Dr「プレドニン使いましょうか?」

ぴ「骨密度が低いので、使いたくありません」

Dr「そうなると対症療法だけど、36.6度の熱は解熱剤使うほどではないですね」

ぴ「そうですね〜」

Dr「腎臓や白血球に異常値が出ていないので、今の状態では特に薬は必要ないでしょう。37度を超える熱が続くようならまた来てください。お大事にどうぞ」


それにしても、だるだる。
横になっていたり座ってる分にはどうにかいいんですが、動くと苦しくて、顎が上がってくる。
梅雨バテの後は、たぶん夏バテでしょう。
わたくしがどうにか普通の生活を送れるのって、1年のうち何ヶ月くらいなんだろう?

こうなったら思い切って転職し、寝たきりでもできる仕事を探すか、と思う今日この頃。
まぁ、そんなイイ仕事があれば、みんな希望するはずなので、ないのかな。

寝たきりでもできる仕事ねぇ…。
このブログを購読有料にしますか。
嘘で〜す。


2006年06月23日 納得いきません

わたくしが作っているサイトの掲示板はほとんどが自設ですが、一部にレンタル掲示板もあります。
自設掲示板は迷惑投稿排除の改造ができるのでいいんですが、レンタル掲示板には、時々、業者からのへんな投稿が (ToT)

えろ業者のしつこい投稿は、プロバイダーへ苦情を出すことにしました。
迷惑だし、キモチワルイし。
迷惑投稿通報は、投稿時間や内容のログを添付するのがお約束なので、わたくしもちゃ〜んとそうします。

ところがですね〜。
迷惑投稿の被害者であるわたくしに、不思議なことを問い合わせてくるプロバイダーがあるんです。

1.ぴょんぴょん様の連絡先(ご氏名、ご住所、ご連絡先電話番号等)を可能な範囲でお知らせください

はぁ?

「確認の必要がある場合には弊社からご連絡さしあげることもございます」「回線使用者(加害者)には伝えません」など、ご丁寧な但し書きはついてるけど、わたくしはそれを手放しで信じるほどオメデタクはございませんわ。
プロバイダーそのものが迷惑投稿の加害者ではないけれど、えろ業者(?)は、そのプロバイダーの会員であり、こちらは100%被害者なわけですよ。
わたくしは、な〜んにも悪いことをしていないし、そのプロバイダーの会員になる予定もない。
んで、わたくしのご氏名、ご住所、ご連絡先電話番号等を教えろとな?

いやでございます。

故意や過失で「個人情報流出!」なんてニュースも時々あるんで、住所や氏名などの個人情報は教えたくないよ〜ん。
ってか、わたくしが出した苦情メールはプロバイダーへ届いていて、向こうからの問い合わせメールも届いてる。
これからもメールでのやり取りではダメなの?


2.荒らしているユーザーは、他のサイトにも同様の行為を行なっていることが多く、該当ユーザーに連絡すると「それはどこの掲示板のこと?」と聞かれることもございます。その際、ぴょんぴょんさんの掲示板名を伝えてもよろしいでしょうか?

はぁ?

こちらは、どこの誰だかわからない人に、えろい迷惑投稿されてるんですよ。
言わば、物陰から弓矢を射掛けられてるんですよ。
相手はバリバリに卑怯な奴なんですよ。
「他のサイトにも同様の行為を行なっていることが多い」ロクデナシなんですよ。

なんでわざわざ、わたくしの管理する掲示板名を教える必要がある?
フツーは、逆恨みや、さらなる荒らしの可能性が真っ先に浮かびませんか?
「掲示板名を教えてもよろしいでしょうか?」と聞かれても「いやです」としか答えようがございません。
こちらの掲示板名を相手に知らせるなら、相手の住所、氏名、連絡先をこっちに教えてくれなくちゃヤダわ、って感じ。

荒らしの個人情報保護は必死で考えるけど、被害者であるわたくしの保護はまったく考えてないみたいに思えるんですよ。
なんかへンじゃないですか?

がるるぅ〜。


2006年06月24日 将来

義弟のAちゃん夫婦には小学生の子供がいる。
今どきの子育ては大変みたいで、いくつかさせてる習い事の行き帰りは、安全のために付き添っているそうだ。
土日は習い事のスケジュールが複数あり、Aちゃんは汗だく。
義父の家に顔を出しても「あっ、そろそろ子供を迎えに行かなくちゃ」と、またすぐに飛び出して行く。
そんなAちゃんに義父が声をかけた。

父「なっ、A。子供を育てるのは大変だろう? 親のありがた味がやっとわかったか?」

弟「なに言ってるの! お父さんは、子供のありがた味が今になってわかったでしょう!?」

そう。
義父は現在まだ、ほとんど歩けないため、夫や義弟といった子供に文字通り「おんぶに抱っこ」状態なのだ。
そんなやり取りを聞きながら、わたくしは自分の老後を考える。

わたくしが現在抱いている不安の第1位は、癌の再発や、持病の悪化で死ぬかもしれないことではなく、ズバリ「老後をどうするか」である。
現実問題として、わたくしには子供がいないので、老後の面倒を子供に望んでも不可能。
もしも子供がいたとしても、このご時世、頼りにするのはかわいそうだし。
そうなると、やっぱり「お金」でしょうか。

ところが日本は、何代か前の総理大臣が「子供を産まない女性の老後を国で面倒みるのはいかがなものか」みたいな発言をチャラッと口にする恐ろしい国なのである。
わたくしは癌になる前、共働きでしっかりと働いていたので、税金もしっかり取られた。
地域振興券は対象外で貰えなかった。
今のわたくしは、癌罹患者、なんちゃって膠原病、橋本病、骨粗鬆症、その他もろもろの素敵な病名をいただき、身体的にはかなりヘロヘロ状態。
でも、国からの補助って、特にないですねぇ。
やっとこ稼ぐと、その中からまたしっかりと税金を持っていってくれる。
そしてわたくしは、バカ親父の残した傍大な借金をまだ返済している身でもある。

なんだかな〜。

夫は、「子供がいない人たちで集まって、コーポラティブハウスでも作るか」と言っている。
少子化だし、そういうのもアリかもしれない。


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