39.退院
退院前夜は、少し荷物を片付けたりして過ごした。
いぬさんは、再発予防のため、放射線を当ててから退院することになったと言っていた。子宮ガンということだけしか知らなかったのだけれど、頸ガンだったみたい。
入院当時は睡眠薬を飲んでもほとんど眠れなかったのに、最近の私はいつも爆睡。
病院の生活に慣れたのだろう。
退院が決まり、うれしくて眠れないかもしれないと思っていたけど、病院最後の夜もちゃんと眠れた。
朝食後、荷物をまとめた。
パジャマもタオル類も病院が貸してくれるシステムのため、入院した時の荷物は少なかったが、お見舞いでいただいたものがけっこうある。
持って帰る荷物は、入院時の2倍ぐらいになっていた。
スリッパだけは捨てた。
ボロボロだったせいもあるが、家に持ち帰ると「病院に足がつく」かなんかで、縁起が悪いらしい。
普段は縁起なんて気にしないけれど、やっぱりもう、ここには戻って来たくないよ〜ん。
スリッパをゴミ箱に投げ入れた。バイバーイ!
どうにか片付いたので、マタニティードレスを着た。
しばらくは、これが普段のスタイルになる。
仕事を休んだ夫が車で迎えに来てくれた。
実家があればしばらくそちらで静養したいところだが、ないものねだりしてもしょうがない。
これからしばらくは自分の家にいて、昼間は一人で過ごすことになる。
食事は自分で作れなければ、お弁当などを買いに行くか、夫が帰って来て作ってくれるのを待つしかない。
自分のこと、どのくらいできるかな…。
私は準備万端整った。
それなのに会計書が来ない。
さっさと払って帰りたいのに、もぉぉぉ。
夫は、先に車に荷物を積んでおくと言って荷物運びを始めた。
なぎさ病院の退院時間は朝の9時か10時だったと思う。その後1時間経つと、入れ替わりで新規の入院患者が入ってくる。
会計書が来るのをベッドで待っていたのだが、退院時間になっても届かない。
夫は荷物を積み終えて戻ってきた。
新しい患者さんのためのベッドメイクもあるだろうと思い、いぬさん、ペンギンさん、おうむさんに挨拶して病室を出た。
このガン病室には3週間ぐらいいたかな。
本当にいろいろなことがあった。
みんな笑って見送ってくれたけれど、自分も帰りたいに違いないのよ。
みなさん、どうぞお大事になさってください。
元気になって、早くお家に帰れるといいですね!
ナースステーションにも立ち寄ってお礼を言い、デイルームの椅子に座って会計書が届くのを待った。30分も待たされた。
1階の会計は、退院する患者や外来患者の清算でごった返していた。
ハムスターさんの見舞客軍団から逃げるために病院内を放浪していた時、ここの椅子に座って、みんながお金を払って帰るのをぼーっと眺めていたこともあったっけ。
今日は私も、家へ帰る人の仲間入りをする。
この日を迎えるために痛い思いをし、諦めたものもあるけれど、それらはすべて納得済みなので、悔いはないや。
こういう病気にならなければ、一生わからないまま過ごしていたかもしれない、いろいろなことに気づけてよかったよん。
私はガンになって得したのかもしれない。
ほんと、そう思った。
入院した時と退院する時の私は、身体的構造や特徴が違う。
子宮はない、傷がある。ガンの根治治療は成功したはず。
もともと思っちゃいなかったけど、失ったものを指折り数えて、自分がバージョンダウンしたと思うのはこれからもやめようっと。
自分が本当に大事だと思っていたもの、自分のアイデンティティーとプライドは失わずに済んだ。前よりもっと箔がついたかも〜。
私はバージョンアップした自分になって家へ帰る。
今後の課題は、新しい自分と仲良くすることかな。
こんにちは、ニューバージョンの私。
これから、どうぞよろしくね!
―ぴょんぴょんのがんになっちゃった!顛末記 完―
2002年2月25日 記
2000年5月に退院した後の経過記録は「ぴょんぴょんがキャンサーサバイバーになるまで」に続きます。
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