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8.入院

いよいよ入院の日になり、私は夫の運転する車で病院へ行った。
なぎさ病院の1階にはコーヒーショップがあり、最上階にはレストランがあった。
入院棟は各階にデイルームがあり、大部屋は4人部屋。
各部屋に洗面所とシャワー、ウォシュレットのトイレが付き、ベッドは電動で、各人にビデオ内蔵テレビがあり、ベッドサイドには小さな冷蔵庫まであった。
そして窓からは渚がよく見える、ホテルのような部屋だった。
病衣とタオル類、箸などの食器は病院が用意してくれる。
持って行く荷物が少なくて助かった。

私の病室は、ナースステーションのすぐ向かい側にあり、ベッドは、入口を入ってすぐの右壁際。
面会時間前ということもあり、夫は荷物を運ぶと、すぐに帰って行った。
こうして、私の入院生活が始まった。

私がいるのは、手術直後や重篤な人が入る部屋のようなのだ。
もしかして、やはり私は本当のことを知らされていないのではないかと、またまた心配になった。

なぎさ病院の婦人科は緊急時を除き、手術日が週2回と決まっていて、私が入院した日はちょうど手術日だった。
次の手術日の一番早い時間に、私は手術を受ける。

私の反対側の壁際の人はベッドごといなくて、窓際の2人は術前の予備麻酔を打たれたらしく、動作も言動も緩慢だった。
私の隣の人は予備麻酔が身体に合わないらしく、しきりに気分の悪さを訴えていた。
皆、カーテンを半分閉じていたし、挨拶するような雰囲気でもないので、ベッドに横になってテレビを見たり、病院内をぶらついて過ごした。

私と同室の人たちは皆、部屋を出てから1時間ほどで手術を終えて帰って来た。
術後の患者さんはベッドに横たわったまま寝ているか、時々身動きして「うーん」と言うばかり。かなり辛そうに見えた。
ナースが頻繁に出入りし、血圧や点滴のチェックをしている。

予備麻酔が体に合わず気分が悪いと言っていたお隣さんは、手術室から戻って来てしばらくすると、本当に吐き始めた。
どの患者さんにも数名の家族が付き添い、心配そうに見守り、世話をしたり、ナースコールを押したりしていた。
私ももうすぐ、ああいう体験をするんだなぁと、しみじみ思った。

入院してから手術まで5日間あったが、その間に私が受けた治療(?)は、食事制限と点滴だけだった。
食事は、入院初日は普通食で、次の日からだんだん柔らかい食べ物に変わり、おもゆやスープなどの液状になった。

入院した日の夜は、睡眠薬を出してもらっていたのにもかかわらず、緊張からか全然眠れなかった。
深夜になってもナースが足しげくやって来て、術後の患者さんに「痛くない?」と聞いて回っている。
みんなまだ麻酔が覚め切っていないようで、明確な会話はできないみたいだが、少しでも「痛い」と訴えた患者さんには痛み止めの注射が打たれていた。
この病院では、痛いのを我慢させられることはなさそうだ。
「痛い!痛い!」と苦しむ人がいないのでほっとした。
結局その晩、私は夜勤の看護婦さんと一緒に、朝まで起きていた。


次の日の朝、ヘルパーさんが来て、術後の患者さんに冷たい水を含ませ、うがいをさせているのを見た。
入院前、数名の病気経験者から「術後、喉が乾いて辛かった」という話を聞いていたが、その心配はなさそうだ。
また1つ心配のタネが減った。

昨日手術を受けた患者さんたちは、意識がはっきりして来るのに従い、痛みも感じるようになって来たようだった。
みんなナースコールを押して、痛み止めの注射を打ってもらっている。
当たり前のことだけれども、話をする元気がある人など一人もいず、私はその日も病院内を探検したり、テレビを見て過ごした。


面会時間になると、他の患者さんのところにはお見舞いの人が訪れた。
お母さんに甘えている患者さん、娘さんらしき人に慰めてもらっている患者さん。
私には永久に与えられることのない「実の家族の触れ合い」を目の当たりに見て、複雑な気持ちになった。

私はというと、夫は病院と仕事場が離れているので、手術当日までは来られないだろう。
友達には「こちらが望まない限り、面会には来ないで」と言ってあるので、これまた誰も来ないだろう。
親戚は、年老いた人が多いので、私の状態を見てびっくりさせたり、泣かれたりすると困ると思い、やはり「たいしたことないので、手術の日はもちろん、お見舞いにも来なくていいよ」と言ってあった。

夫の両親は、頼めば毎日でも来てくれたかもしれない。
でも、彼らもそんなに若くないし、義母は目の手術をしたばかりだった。
無理をさせて具合が悪くなっても、今の私には何もしてあげられない。
私が我慢すれば済むことだからと思いつつ、「病気の時ぐらい、痛いよ、辛いよと言って、誰かに甘えてみたかったな」とも思った。

その晩も、睡眠薬を飲んだけれど、よく眠れなかった。
私はふだんから、「音」に対してだけはかなり神経質で、そのため、同室の誰かが「うーん」と言ったり、ナースが見回りに来る足音でびっくりして目が覚めてしまった。
結局、夜9時に寝たものの夜中の12時に目が覚め、その後は、朝までずっと起きていた。
そして、その間に脊髄麻酔のことを考えたりすると、身体中に盛大な「みみず腫れ」が出た。
その上、病院支給の病衣に付いていた糊にかぶれたらしく、首回りや袖口が赤くなり、痒くて散々だった。


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