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ホーム> メニュー> ぴょんぴょんのがんになっちゃった!顛末記> 6.ガン発病

6.ガン発病

ともかく次の日、私はなぎさ病院へ行った。
ホテルみたいに豪華できれいな病院でびっくりした。
しかし、有名病院の常で待ち時間は長い。
予約なしで行った私は、一番最後に回された。

3時間ほど待たされた後、Dr.パンダという中年の男性医師に会うことができ、私は紹介状を差し出した。
Dr.パンダは、紹介状をじーっくりという感じで読んだ後、私に聞いた。

「前の病院のDr.ホースから、何と言われて来たの?」

妙なことを聞くなぁ、と思った。
昨日から、ヘンなこと続きだ。
紹介状に書いてあるんじゃないの?

「Dr.ホースからは、内膜掻爬したら、いいものか悪いものかわからない細胞があったので、念のために再検査を受けるように言われました」

「あ、そう。じゃ、細胞、取りましょうね」

この時の細胞診はとても痛かった。
Dr.ホースが麻酔をしてやった手術を、Dr.パンダは麻酔なしでやっているかのよう…。
普通の細胞診の時の5倍くらい多く取っているようで、しかも容赦がなかった。

「いった〜い!!」

あまりの痛さに全身冷や汗をかき、心臓がバクバクして、息が弾み、涙まで出た。
跳び起きて、Dr.パンダをぶん殴ろうかと思ったまさにその時、「終わりました」と告げられた。Dr.パンダは運がよかった。
身支度をして診察室に戻ると、Dr.パンダが言った。

「検査の結果は来週出ますが、あなたはガンですから」

「はぁ?」

検査の結果は来週出ると言いつつ、あなたはガンですよと言う。
Dr.パンダの言っていることは、矛盾してはいないか?
それに、Drの言うことが本当とするなら、なんともデリカシーのない告知のしかたである。
気の小さい人だったら、気絶してしまうかもしれない。

「何で私がガンだとわかるのですか?」

「ホース産婦人科でやった手術で、ガン細胞が出ています」

「クラスいくつですか?」

長年に渡る母の闘病の結果、私には普通の人より医学知識がついたと思う。
わからないと思ったことや、自分に興味があることは、納得行くまで調べ上げないと気が済まない性格でもあった。
Dr.パンダの告げた細胞診クラスを聞いて納得した。
それが本当なら、私はガンを発病している。

Dr.ホースは、自分の病院では手術ができないので私にガンの告知をせず、なぎさ病院へ回したのか。なるほどね。
Dr.ホースと初めて会った日のことを思い出した。
Drのそぶりがヘンだと感じたけど、あれは手術の後だったな…。
産婦人科医は取った子宮内膜を見て、怪しいかどうかわかるのだろうか…。

Dr.ホースのそぶりがヘンというのは、私の思い過ごしかもしれなかったが、ガン細胞が出ているにもかかわらず、それを教えてもらえなかったということで、不愉快であった。
しかし、私にセカンドオピニオンらしきもののチャンスが与えられたのも事実である。

私はDr.パンダに向き直った。
この先生は、口は悪そうだが正直だ。

「今日やった細胞診の結果、私がガンではないという可能性はありますか?」

「それは、確率としてかなり低いでしょう」

「私がガンだという確率はどのくらいなのですか?」

「90%ぐらいの確率であなたはガンです」

ガン宣告されて、どうしてこんなに冷静でいられるのか、自分でも不思議だった。
「もしかしたら」に備え、いろいろと準備しておいたのがよかったのだろうか。

「頸ガンですか、体ガンですか?」

「体ガンです」

「じゃあ、全摘ですね」

「そうです」

「ステージは?」

「正確には開けてみないとわかりませんが、まだそんなに進んでいないでしょう」

「そうですか…」

私は脳みそに鞭打って、自分の知っている子宮ガンの知識と医学用語を絞り出した。
私にある程度の医学知識があるとわかれば、Drは変な隠し事をしないだろう。
私の知らないところで私の病気が語られ、私以外の人に私の治療方針を決められるのは我慢ならなかった。
そして、それを許す気もなかった。

他人に治療方針を決めてもらうのは、確かに楽だろう。自分は考えずに済むし…。
でも、他人に治療そのものまで代わってもらうことはできないし、最悪の結果になったら、死ぬのは自分。
今まで、母や父など、人の不始末の責任をさんざっぱら取らされて来た。
これ以上、他人に振り回されてたまるものか。
自分がどういう治療を選ぶかは自分で決めるんだ!、と改めて決心した。

時々、下腹部が痙攣するように痛みだし、私はうめきながら押さえた。
さっきの細胞診、やり過ぎたんじゃないの?

と、Dr.パンダが私の顔をじっと見て、「今日は誰かと一緒に来ましたか。ご家族は一緒じゃないの?」と聞いた。
私の顔に涙の跡があるのを見て、勘違いしたらしい。
だいたい、今日は再検査を受けるだけだと思って来ているのだから、家族が一緒なわけはないではないか。
そういえば、待合室はいやに人が多かったけど…。
普通の人は、検査だけの時でも家族が付き添ってくるものなのだろうか。

「私は、ガン告知されて泣いたのではありません。さっきの検査、すごく痛かったんです!」

「でも、びっくりしたでしょ。少し横になっていけば…」

「大丈夫です。死ぬのが怖いと思っていませんから」

「でも、少し横になって…。帰り道で引っ繰り返られたら困るから…」

「痛かっただけです!」

「ごめんね。わざと痛くしているわけじゃないんだけど…。あちらに横になれる部屋がありますから」

デリカシーのない告知を反省しているのだろうか。とにかく「横になれ」の一点張りだった。
しかし、私にはまだ知っておかなければならないことがあったし、横になる必要があるとも思えなかった。

「死ぬのが怖いと思ってませんから、大丈夫です」
「手術はいつですか?」
「どのくらい入院が必要ですか?」
「全摘以外に方法はないんですか」
「全摘した場合のメリットとデメリットを教えてください」
「私の場合の術後5年生存率は?」
「治る見込がない場合はホスピス行きが希望なので、検査結果などはすべて私に教えてください」

矢継ぎ早に質問する私を見て、Dr.パンダは座り直した。
今まではとりなすような口調だったのが、クールな口調に変わった。
私の様子を見て、説明してくれる気になったらしい。

Drの説明を聞きながら、私は母のことを思った。
母も一人で告知を受けた。
その時、彼女はどんなだったのだろう。

それから、母の闘病をも思った。
私は、アイデンティティーとプライドを持って生き、そして、それらを持ち続けたまま死にたい。

Drが「子供が欲しいか」と聞くので、「いいえ、別に」と答えた。
私は、子供を持つことについて自分なりの考えがあり、夫も子供を切望してはいなかった。
結婚しているのだから、妊娠したらもちろん産むつもりだったけれど、そういう機会に恵まれなかった。

Drの説明によると、「妊娠を希望しないなら全摘がいい」とのことで、「子宮を残すとなると、ちょっと難しい…」と口ごもった。
私の病状で子宮を残すと、予後があまり良くないのかもしれない。
「子宮がなくなったら、生理もなくなるのか。月々の生活が楽になるなぁ」などと考え、少し幸せですらあった。
しかし、その後に続く説明を聞いて、暗い気持ちになった。

「卵巣や卵管も取りますので、更年期障害のような症状が出ることがあります」

「更年期障害が起こった場合、ホルモン剤を処方してもらえますか?」

「あなたには処方できません」

「なぜですか?!」

「あなたの場合、ホルモン剤がガンの栄養になるからです」

何と…。
その話は初めて聞いた。
ひどい更年期障害で苦しんでいる人でも、ホルモン剤で症状がかなり改善されると聞いていたのに、私にはホルモン剤が使えないのか…。

「ホルモン剤以外に、薬はないのですか?」

「漢方薬があります」

新薬に比べると薬効が出るまでの時間はかかりそうだか、一応薬はあるということなのでよしとしよう。
更年期障害は一生続くものでもないだろう。
Dr.パンダはさらに説明を続けた。

「女性ホルモンが少なくなると、骨粗鬆症や心臓発作のリスクが高まります」

それについては自己管理できるだろう。
食べ物と体重管理をきちんと行えばリスクは減らせると思った。

数年前、人間ドックで骨密度を測ってもらったのだが、とてもいい結果で、担当Drから「どんな食生活をしているのですか?」との質問を受けた。骨粗鬆症に関しては大丈夫。

心臓発作については、太り過ぎに気をつけることくらいしか思い浮かばなかったが、それでも何もしないよりはましだろう。
しかし、次にDr.パンダが言ったことに仰天した。

「骨盤内のリンパ郭清をするので、足がリンパ浮腫になる可能性があります」

「どのくらいの確率で浮腫が起きますか?」

「10人に1人位の割合です」

「………」

「でも、あまり心配しなくて大丈夫。体質なども関係しますし、初めに手当すれば、ひどくならずに済みますから」

体質というのは、遺伝するんじゃないの?
母が重度のリンパ浮腫だった私は、かなりリスクが高そうだった。
母は片腕だけであんなに苦しんでいたのに、私の場合は両足が浮腫になるかもしれない。

「郭清はいやです。子宮だけ取ってください」

「でも、標準的治療というのがあって…」

「母が重度の浮腫だったので、どんなに辛いか知ってます」

「でも、全員がなるわけじゃないんですよ」

「母がなったのですから、遺伝を考えれば私もなる可能性が高いでしょう。郭清はいやです!」

「でも、リンパ節を取らないと、転移する可能性が…」

「転移してもかまいません。死ぬのは怖くありませんから。子宮だけ取ってください」

「子宮だけ取れと言われればそうするけど、でも…」

「もし、浮腫になった場合、治す薬や手術はありますか?」

「薬は、利尿剤くらいしか…。手術は、最近、バイパス手術をやってる病院があります」

「ここでも、やっていますか?」

「この病院では、やっていません。やっている病院は、まだ多くありません」

母が亡くなってから10年以上経っているのに、リンパ浮腫の治療法は、昔とほとんど変わっていないようだった。
私は「ガンが転移して死んでもいいから、郭清は絶対にいやだ!」と言い張り、Drもそれならしょうがないという感じで、とにかく細胞診結果が出るまでの間にCTとMRIを撮り、すべての結果を総合して考えてみましょうということになった。


本当なら家へ飛んで帰り、布団でもかぶって自分の身の不幸を嘆きたいところだったけれど、私には、その日、やることがあった。
父の件の税務手続きで税務署に行き、その他諸々の用事を済ませた後、喫茶店に入ってひと息ついた。
晩冬の夕方、ウィンドウの向こうをたくさんの人が歩いて行く。
「私は来年も、この季節を元気に迎えられるのだろうか…」とか、「こんなにたくさんの人がいるのだから、私みたいに、今日ガン宣告を受けた人や、病気中の人もいるのかもしれないな」などということをぼんやり考えた。


私はたぶん、ガンなのだ。手術の後、しばらく入院することになるだろう。
手術の結果によっては、抗ガン剤治療などの後治療があるかもしれないと考えると、入院するまでの間に片付けておかなければならないことが山ほどあった。

まず、父のこと。
彼が残した借金の総額は膨大で、東京の一戸建でも2軒、マンションなら3〜4軒は買える金額だった。
毎月の返済額は、会社の課長クラスの月給とほぼ同額。
父が残した家を貸して、その賃料を返済にあてることにした。ちょっと見では、私から出て行くお金はない。
でも、家の借り手がいなくなれば、返済はたちまち滞ってしまう。
そんな綱渡りみたいな返済方式で、20年近くかけ完済することにした。
馬車馬のように働けば、少しは期間が短縮できるだろう。しかしそれも健康ならではの話だった。
私は人から「おばあちゃん」と呼ばれる年齢になるまで、毎月毎月、「今月はローンを返せるのだろうか?」と気を揉んで暮らすのだ。
そして、もし思うように借り手が付かず、私も働けなくなったとしたら、夫とは離婚して、私が自己破産するという道しか残されてなさそうだった。

父が死んだのは7月だったから、それまでに一周忌法要もやらなくてはならない。
いつ手術をするかはまだわからないけれど、近い将来であることに間違いはなく、法要までに体力が回復するとは思えなかったし、ろくでなしの父のために無理をする気にもなれなかった。
本来なら、病気のことは親戚に隠しておきたかったが、理由も告げずに法要をしないわけにはいかないだろう。
私が病気になったことで、一騒動起こるのは確実だった。

本当に、どこを向いてもお先真っ暗だった。
病気が治って元の身体に戻れるという保証はなく、もしかしたら一生、夫か福祉のお世話になって、半病人で生き続けなければならないかもしれないのだ。
治ったとしても、この先々何十年も父のために人に頭を下げ、死にもの狂いで働いて、その収入の大半は、借金返済に消えていくことになるかもしれない。

父が死んだ後、その後始末が大変で(今も大変だけど)、もし「あなたはもうすぐ死にますよ」と言われたらどんなに嬉しいだろうか、と思った日々のことが頭をよぎった。
自殺しようとは思わず、その勇気もなかったが、病気をこのままにしておけば近い将来、必ず死ねる。
もしかして、病気は天からの贈り物なのだろうか…。

私には子供がいないので、たいして思い残すことはなかった。
夫もまだ若いから、再婚すれば子供が持てるかもしれない。
彼が第2の人生を送るために、私の生命保険金をプレゼントするのもなかなかいい案に思えた。

「何が何でも絶対に生き抜いてやる」という気持ちには、どうしてもなれなかった。
私には、明るい未来が何一つ提示されていないのだ。
しかし、自分の身の不幸を愚痴って回ったり、「病気だという真実」に背を向けるのも、いやだった。
「できるだけのことはやってみよう。そしてだめだったら、身体が動くうちは好きなことをやって、最後はホスピスへ行こう」と考えた。

「治療や手術を受けるのはやめよう」と思ったり、そのすぐ後で「できるだけのことはやってみよう」と思ったり…。
考えがコロコロと変わり、自分でも「私って、優柔不断な奴」と思い、そこらへんの心理は、「死」を視野に入れなければならない病気にかかった人にしかわからないことなんだろうな、などと分析してみたり…。

なんやかんや言っても、私はやっぱり取り乱しているのかもしれなかった。


その日、夫は泊まりがけで出張中だった。
夜になって、宿泊先から電話をかけてきた夫に「私はガンらしい」と告げると、しばらく絶句した後、「そう…」という言葉が帰って来た。
彼は今晩眠れないだろうな、と私は思った。


その晩、ひとりで家にいて、さらにいろいろと考えた。

私は今まで自分なりの死生観をきちんと構築して来たつもりだったけれど、実際目の前に「死」を突き付けられると心穏やかというわけにはいかず、支離滅裂なことをしないように自分を戒めるのが精一杯だった。

人はだれでも、「自分を認めてもらいたい」という願望を持っていると思う。
だれかに必要とされて、他人から「大切な人」だと思われたいのではないか。

私も「存在価値のある人になりたい」と思って、常々努力をしてきたつもりだった。
私がいなくなったら、悲しんでくれる人がいるかもしれない。
でも、私が死んでも、地球がなくなったり、今の世界が滅びるわけではない。
「一人の人間って、大きくて小さい存在なんだな」と思った。
うまく言えないけれど、宇宙の真理みたいなものが見えた気がした。
哲学者になったような気分だった。


実生活面では、入院費も心配だった。
治療費などがいくらかかるのだか、見当もつかない。
そして私は、父の葬儀などに自分の蓄えを使ってしまい、ほとんどすっからかんだった。
お金がなくて、思うような治療が受けられなかったら、心残りだろうな…。
そして、「ああ、ガン保険に入っていたんだっけ」と思い出した。

次の日、私はガン保険を掛けている保険会社に電話した。
担当者に、ガンかもしれないこと、もしそうなら診断給付金を請求したいこと、次の診察日に結果が出るので、その時にDrに診断書を書いてもらいたいから、保険会社所定の用紙を大至急送ってほしいことを告げた。
保険会社から届いた書類の説明書に、0期の子宮ガンは給付対象にならないと書いてあった。


夫が出張から帰って来たところで、今までの報告をし、治療などについての私の希望を述べた。
リンパ郭清はしたくないこと、その理由、メリットとデメリットも言い、夫は「ぴょんぴょんがそれでいいのなら」と了承してくれた。
健康な頃、いざという時のことを決めておいたせいだろうか、話は、お互いの合意を確認して、意外と簡単に終わった。


3月中旬の再検査結果が出る日。
夫と私はDr.パンダに会いに出掛けた。

検査の結果、私はやはり体ガンで、CTやMRIを見る限りでは初期だと思われるとのことだった。
そして、手術前にさらに詳しい検査をいくつか受けることを指示された。

手術予定日は4月中旬で、1カ月も先。
Drが見せてくれたオペノートには、びっしりと手術予定者の名前が書かれており、私が入り込める日はなかった。
それでも、もし私の病状が一刻を争うようなら、Drは順番を入れ替えてでも手術してくれるだろう。
だから、あまり重くはないんだなと、いい方に解釈することにした。

そうなると、ガン保険は出るのだろうか?
せっかく掛けていて本当にガンになり、手術まで受けるのに、初期ガンのために保険金が出なかったらどうしようと心配になった。
現金なものである。

入院期間は、子宮のみ摘出なら10日間。
子宮、卵巣、卵管を取ってリンパ郭清をすると、3週間から1カ月間とのことだった。
抗ガン剤治療を選択すれば、入院期間はさらに延びるだろう。
私は再び「郭清はイヤです!」と言い張り、夫も私に加勢してくれたため、Dr.パンダは「はいはい」と了承した。

最後に保険会社からの診断書を出し、「書いてください」と頼むと、あっさり書いてくれた。
Drは私のガンが初期だろうと言っていたけど、0期ではないのか。
考えていたよりステージが進んでいるのかもしれないという不安感と、保険が出るという安心感が入り混じった複雑な気持ちになった。


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