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ホーム> メニュー> ぴょんぴょんのがんになっちゃった!顛末記> 18.術後しばらくの経過

18.術後しばらくの経過

術後6日目、待望の食事が出た。
食事と言っても重湯だったけど…。
次の日から1日ずつ、三分粥、五分粥、7分粥、全粥と歯ごたえのあるものになって行き、1週間近くかけて普通食に戻った。

何かを食べると、それが胃に入るか入らないかといううちから、腸がうにょうにょと動く感じがし、かなり辛かったが、病院にいる間は歩くことと食事を残さないのが「私の仕事」と決め、食事は全部食べた。
初めは、お腹の痛みをなだめなだめ、時々横になるなどの休憩も入れて食べたので、食事を終えるのに30分以上かかった。
ご飯を食べるのがこんなに大変なことだとは…。


術後初めて食事した翌朝、いきなり便意が来た。
術後は、腸閉塞、捻転、癒着に要注意なので、便意があることは喜ばしいのだが、腹筋を使うので、お腹の傷が心配だ。
出す時、痛いだろうなぁ〜。
下痢のような腹痛が激しく、ちょっとでも力を抜いたら出ちゃいそう。
トイレはすぐ近くにあるのに、そこまで持つかどうか不安になるほどだった。
脂汗をかきかき、どうにかトイレまでたどり着くことができ、態勢を整えた。
お腹の傷を両側から手で押さえて「裂け」ないようにし、恐る恐る腹筋に力を入れた。

「ぎぇぇ、いったぁぁぁぁ!」

ひたすら痛いだけで、排便できない。
もっと力を入れなければダメなようだが、どうしたらいいんだろ?
そのうち、いよいよ便意は激しくなり、とうとう自分では制御できなくなった。
出る瞬間は、傷を押さえて座っているのが精一杯で、本能のおもむくまま、腹筋を酷使した。
ホント、痛かったっス(ToT)
目の前が真っ白になり、耳がキーンとした。
気絶するかと思った(少しの間、本当に気絶してたかも…)が、気が付くと、私は全身に冷や汗をかいて、便器に座っていた。
動悸がして、気分が悪い。

やっとの思いでベッドへ戻り、ナースコールを押した。

「すごく気持ち悪いんです…」

ナースは膿盆を持って来てくれたが、吐かずに済んだ。
そして、少し経つと気分の悪さはなくなった。
これから毎朝、あんな思いするのかなぁ…。
便秘したら、どえらいことになるだろうな。
何か対策を考えないとダメだと思った。


傷を止めていたホチキス針のような金属を取ったのは、術後1週間目だったと記憶している。
金属を取るのは抜糸(ばっし)と言わず、抜鈎(ばっこう)って言うんだって。
「肉についてる金属を取るんだから、絶対に痛いよなぁ」とビビっていたけど、取る瞬間、ピッという引っ張られるような痛みがあるだけだった。

抜鈎が終わると、傷の痛みはだいぶ楽になった。
術後の痛みは、傷と金属の「つれ」によって生じるものも多かったのだろう。


夫は、術後の一番辛い時期、病院へ一度も来なかった。
術後1日目にちょっと顔を出してくれたが、その次に来たのは術後10日目である。
だから彼は、私が一番ひどい状態の時を知らない。
自分も両親も元気な夫には、病院の生活、病人の気持ち、術後数日間の人の手を借りなければならない状態など、考えも及ばなかったのだろう。
他の患者さんのところには、毎日、夫、親、子供などが来ていて、見舞い客の少ない私のことを気の毒そうに見る患者さんもいた。
私の両親は、もう死んでしまっていない。夫は仕事で忙しいし、病院の生活がどんなものか知らない。
死んでしまった人や、忙しい人は、病院へは来られないのよ。しょうがないじゃない?


お腹から出ているドレン管は、毎日浸出する量を計り、少なくなったら(確か、50ccを切ったら、だと思った)抜くと言われていた。
浸出量が多いのに管を抜くと、体内で吸収し切れないので、むくんだりする不都合が生じるらしい。

右のドレンは、術後10日目位に浸出量が減り、抜くことになった。
夕方、処置室に呼ばれた。
お腹の中に入っている管を抜くのだから絶対に痛いだろうと思ったが、麻酔はかけないと言う。
「痛いだろうなぁ。どうなっちゃうんだろう…」と、半べそ状態で処置室のベッドに横になった。
Dr.パンダとDr.コアラが私を取り囲む。
ドレン管はお腹に入れてあるだけと思っていたのだけれど、管は腹部の表皮に縫い付けてあるらしい。
まず初めに、その糸を切っているようだ。
お腹の皮がちょっと引っ張られるような感じがしたが、大して痛くはなかった。抜鈎よりも楽チン。
Dr.コアラが私に声をかけた。

「抜くからね。息を吐いて!」

次の瞬間、右脇腹に生暖かいものが流れた感じがして、Dr.パンダとDr.コアラが同時に「あっ!」と声を上げた。
まったく痛くはなかったが、何かがだらだらと脇腹を流れている!
体液?
血?

腹筋を使うと傷が痛むので、顔を起こして見ることができない。
Drたちの慌てぶりと、身体から何かが出ているという驚きから、恐怖を通り越して笑ってしまった。
笑うと、腹筋に力が入る。するとさらに、何かがだらだらと脇腹を伝う。
Dr.コアラは私のお腹を押して、「もっと笑って!」などとヘンな指示まで出した。
いったい何なの?

「くっくっくっ」

だら〜。

「あはは」

だら〜。

Drたちは協議を始めた。

「ドレンが栓になってたみたいだな」
「けっこう溜まってるみたい…」
「もう一度、入れる?」

何やら不穏な雰囲気になって来た。
私の右腹部のドレン管は浸出量が減ったので抜くことになったのだけれど、漏れ聞こえてくるDrたちの話を総合すると、実は、お腹の中にはまだ浸出液が溜まっていて、排出の役目をするはずのドレンが、私の場合は何らかの理由により、逆に栓の役割をしていたらしい。
だから、ドレンを抜いたとたん、溜まっていた浸出液が文字通り「栓を外したよう」にだらだらと出て来たのだ。

Dr.パンダは「もう一度ドレンを入れよう」と言い、Dr.コアラは「ガーゼを詰めよう」と言っている。
どちらにしても、傷口に何かを入れるわけだ。
勘弁してくれ!と思った。

そのうち、Drたちの協議は口論に発展した。

パンダ「もう一度、ドレンを入れよう」
コアラ「ガーゼを詰めるのでいいと思います」
パンダ「君は早く帰りたいからそんなことを言ってるんだろう」
コアラ「いえいえ先生、そうじゃなくて…」

時間は夕方というよりも夜に近かった。
ドレンを入れ直す方が痛くて、時間もかかるだろう。やだな〜。
でも、本当はドレンを入れた方がいいのに、早く帰りたいという理由からガーゼを詰められるのなら、それもいやだった。
Drの口論を聞き、脇腹をだらだらと濡らす体液を感じながら、「私にとって一番いい対処を考えてくれ〜。でも痛いのはダメよ。とにかく早く決めて!」と思った。

Drたちの口論はDr.コアラが勝ち、今日はガーゼを詰めて様子を観察し、浸出量が多いようなら明日にでもドレンを入れ直すというような話に落ち着いたようだ。
ドレン管を抜いたばかりの傷にDr.コアラがガーゼを詰めた。
ドレン管を抜いた傷は、1cm程度の小さなものだった。
そこにガーゼを詰めるのだから、大した量は入らないだろうし、腹腔内にぎゅうぎゅうと詰め込むわけでもない。
実際はそんなに痛くはなかったのだろうけれど、「お腹の生傷にガーゼを詰める」という恐怖から、何だかものすごく痛く感じて、ギャーギャー騒ぎ、よれよれ状態になって病室へ帰った。
とにかくこれで、右のドレン管は取れた。少しだけ、身軽になった。

次の日、朝の回診で、Dr.コアラがやって来た。
昨夜、右ドレン管を抜いた後に詰めたガーゼが濡れていないので、浸出液はもう出ないと判断し、ガーゼも取ることになった。
それなのに…。
Dr.コアラは「いちおう、やってみるか」と不気味な言葉をつぶやきながら、ドレンの傷あとを指で押したり、広げたりし始めた。

「げげ、痛い〜。何ですか?!」

もし、浸出液が出て来たり、傷がパカッと開くようなら、もう一度ドレン管を入れる気のようだ。
この時は本当にこわくて、涙モノだった。
Dr.コアラはしばらく傷口をいじくりまわしていたが、「だめだ。もう入らない」と言って諦めた。
ドレンの傷は小さいので、縫わなくても自然治癒してしまうのだ。ぴょんぴょんの傷も、もう閉じかけていた。
そして、次の日には、完全に閉じてしまった。


今思い起こしてみると、術後の入院中は、いつもトイレにいたような気がする。
私は残尿検査を一度でクリアし、排便もあったのだけれど、それは「残尿はない。大も出る」ということだけで、排泄の痛みがまったくなかったわけではないのだ。
大も小も、あちこちの手すりにつかまりながら、身体を折り曲げたり、くねらせたり…。
必死になって少しでも痛くない姿勢を探し、「ちょっとずつ」出すために、やたらめったら時間がかかった。

術後は、腸閉塞がこわくて、腹筋に力も入れられないため、初めは病院からプルゼニドという便秘薬を処方してもらった。
プルゼニドは、胃のバリウム検査後などにも処方される薬で、健康な時だと私は1日1錠でOK。
しかし、術後はそんな量では効かず、「1日5錠内で、自分で好きなように調整してください」と処方されていた。
プルゼニドは、小豆みたいな色と大きさの、小粒な薬だ。
4錠だと効かない。5錠だと激しく下痢をした。
もともと小さい薬だし、たった1錠の違いなのだが、うまく調整できなかった。
こちらとしては、便秘よりは軟便の方が腹筋が楽なので、許された5錠すべてを飲む。
いつもお腹がすっきりせず、薄ら痛く、ピーコちゃん状態の日々。
下剤の使い過ぎで、肛門の危機を迎えていた。切れ痔になってしまいそうだった。
Dr.コアラに「どうにかしてくれ〜」と訴えたら、「普段使っている便秘薬があって、そっちなら自分でうまく調整できるのであれば、使ってもいいよ」と言われた。
幸い、常用していた市販の便秘薬があり、私にはよく合った。
以来、ピーコちゃん状態は、少し改善された。

便秘しないように、また下痢の時は脱水状態にならないようにということで、水分も大量に取っていたため、大でなければ小が出る。
とにかくトイレ、トイレ、トイレという感じ。
初めは病室のトイレを使っていたのだけれど、あまり占領しても他の患者さんに悪いと思い、少し動けるようになると、使用者が少ない車椅子用のトイレまで遠征するようになった。
身体からは、左ドレン管や点滴の管が出ていて、お腹の傷もまだ痛い。ズボンの上げ下げだけでも時間がかかる。
いつも長く入っているので、時々、中で倒れているのではないかと心配したナースが扉を叩いて「大丈夫ですか?」なんて、声をかけて行ったっけ。


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