3.つかのまの平穏
母の葬儀が済み、私は、夫との生活に戻った。
妹も結婚して落ち着いた。
長期間入院していた祖母は亡くなった。
父とは疎遠になった
母の死後、バブルで大金を手にした父は、人が変わったように金遣いが荒くなり、仕事を辞めて遊び回った。
そして、どう見ても父のお金が目当てとしか思えない女性に引っ掛かり、私と妹をはじめ、親戚全員の反対を押し切って再婚してしまったのだ。
もともと父のことが好きではなかった私は、「もう勝手にして」という感じ。
親子の間柄でも、絶対に許せないことがある。
一般常識からかけ離れた行動を繰り返す父に私の我慢は限界に達し、親はいないものとあきらめた。
そして、そう思うと気分がせいせいした。
数年して、父が離婚したという話を人づてに聞いた。
私と父とは、そのくらい付き合いがなくなっていた。
しばらくして、父が電話をかけて来たのだが、離婚のことには何も触れずに「借金をしたいので、連帯保証人になってくれ」と言うではないか。
大金を持っているはずの父が、なぜ借金などしなければならないのか解せなかったし、借入予定額を聞いて仰天した。
一億円近かったのだ。
もし連帯保証人になると、父がお金を返せなくなった場合、私が返済をしなければならない。
そして、計画性ゼロの父の性格を考えると、返済が私の肩にのしかかってくる可能性は限りなく高かった。
しかも何に使うのか、父の説明が要領を得ない。
色よい返事はできなかった。
「離婚したの?」という私の問いをのらりくらりとかわし、「連帯保証人になってくれ」とばかり繰り返す父に腹が立ち、「あなたは今まで好き勝手に生きて来たのだから、これからもそうすればいいでしょ。ただし、私には迷惑かけないでね。もう電話してこないで!」と受話器を叩き置いた。
逆勘当みたいなものである。
それからは、父に煩わされることがなくなった。
学生時代からやりたいと思っていた仕事に就き、その仕事で独立することもできた。
毎日が自分の時間で、責任さえ持てばなんでもできた。
遅い青春時代が来たようだった。
母と祖母が相次いで亡くなった後、「死ぬってどういうことなんだろうな」と考えたことがある。
「死ぬのは怖い」という人も多い。でも、人は必ず死ぬ。
人類は、英知とたゆまぬ努力とで月にまで行ったのに、死んだ人間が生き返ることはない。
死後の世界があるとすれば、こちらの世界に戻りたいなどと思わないほどいいところなのか、そこへ行ったらどうやっても戻ってこられないかのどちらかなのだろう。
または、死んだとたんに何もなくなり、意識も消失するのではないか。
輪廻転生して生まれ変わるのかもしれない、などとも思った。
死後の世界がいいところならずっといればいいし、帰れないのなら、そこにいるしかあるまい。
意識が消失するのなら、もう何も考えることもなくなる。
輪廻転生すれば、またこの世に戻ってこられる。
いずれにしても、恐れることはなさそうである。
ただし、死ぬ前に痛かったり苦しかったりするのはごめんだ。
それから、なぜ自分が死ぬのか、納得して死にたいと思った。
私と夫は、もし病気になったらどうして欲しいかを話し合ったことがある。
お互いに健康だからこそ、冗談混じりでも本音が言えた。
私は「病気になったら隠さず本当のことを言ってね。人はみんな死ぬのだから、死ぬのを怖いと思ったことはない。でも、死ぬ前に長い間、痛かったり苦しかったりするのはすごく怖い。治らない病気だったら治療せずに、痛みを取ることだけを考えて欲しい。鎮痛剤の打ち過ぎで死期が早まってもいい。もうダメなのに高カロリー輸液なんか入れて、へたに延命しないでよ」と言った。
また、今までかけていた生命保険に加え、ガン保険と、入院した時にお金が支払われる医療保険と、個人年金と、介護保険に加入した。
私たち夫婦には子供がいないので、教育費などがかからない分、保険の掛け金に回す金銭的余裕があり、身内らしい身内がいない私が物心ともに頼れる人は夫だけだった。
何かあった時、夫にかかるお金の負担だけでも軽くしたい。
いざという時の備えが必要だった。
今思えば、これがよかった。
その頃、ショッピングに出掛けた私は、かつらを買った。
もし万が一ガンになったら、抗ガン剤治療を受けるかもしれない。
本当に必要になった時は、かなり体調が悪いだろうから、かつらを見て歩けるかどうか疑問だった。
今のうちに、気に入ったものを買っておいた方がいいのかもしれない。
何事もなく歳をとったら、おしゃれ用に使えるかもしれないし…。ほんの思いつきだった。
<<前へ 次へ>>