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ホーム> メニュー> ぴょんぴょんのがんになっちゃった!顛末記> 34.病院の風景

34.病院の風景

健康な人がガン患者に抱くイメージは、実際より暗過ぎるものが多いように思う。
ベッドに横たわって日がな一日窓の外を眺め、力なく溜め息ついてるとか、生と死のことばっかり考えて泣いてるとか、健康にすごく気を使って身体にいいと言われるものしか食べないとか、そんな風に思ってる人が結構多いのではないだろうか。
でも、実際にはそうじゃない。中には、そういう人もいるけど。
ガンになっても、治療中でも、人間やめちゃったわけじゃないので、おかしければ笑うし、ご飯がおいしい時だってあるし、腹も立てる。

私はガンになってからも、特別な節制はしていなかった。
ちまたでガンに効くといわれている健康食品や民間療法も一切試さず、入院前はお酒を飲んでいたし、入院してからも煙草を吸っていた。
確かに、いい習慣ではないかもしれない。
でも、私は「ガン患者」ではなく、「人間」として生きることを選んだ。

性格的なものもあるのだろうけれど、私とお姉さんは、現実をしっかり見て、自分で選び、納得したら、もう後ろは見ないタイプだった。
だから、過去に起きたことで、考えてもしょうがないことは考えない。
そんなこと考えて何になるの?
考えたら、過去に起こった悪いことがなかったことにでもなるの?って感じだった。

過去に失敗の経験があるなら、それは糧にして、これからは同じ過ちをしないようにすればいいだけの話。
今となってはもうどうしようもないことを考えて「ああすればよかった」「こうすればよかった」って言って、何か変わるわけではない。そういうのは、まったくの時間の無駄。
そんなことを考えるのだったら、これからどうするかを考えることに時間を費やすほうがずっと有意義だと思った。

余命告知後の2、3日は、さすがのお姉さんも笑顔を忘れてはいたけれど、とりあえず抗ガン剤治療して、その間に他の治療法も探してみようと決めてからの立ち直りは早く、そして、お姉さんはもともと朗らかで、茶目っ気のある人だった。
だから、私たちは、ちょっとしたことでいつも笑い合っていた。


病気がわかった時、私は自分が抗ガン剤治療することになるかもしれないと思い、入院前に100円ショップへ行って洗面器を買った。
病院では、気分が悪いと訴えると、膿盆みたいな小さい入れ物が出てくるはずだ。
服や周囲を汚すかもしれないと遠慮しいしい気を使って吐くのはまっぴらごめんだと思い、心ゆくまでげろりんできるよう、予備の分も含めて2つの洗面器を買った。

お姉さんが抗ガン剤治療を始める日、私は洗面器を1つプレゼントした。
お姉さんは、お気に入りのスポーツ選手の大きな顔写真が載った新聞紙を洗面器の中に敷き、「よぉし、こいつの顔の上に吐いてやるぞ〜!」と言った。
私たちは、げらげら笑った。

しかし、お姉さんは1クール目、一度も吐かなかった。
私が気づくほどの脱毛もなかった。
母の苦しげな抗ガン剤治療を見ていた私はびっくりし、お姉さんも、自分でもびっくりしていた。
ナースが「最近、いい吐き気止めの薬ができたんですよ」と教えてくれた。

抗ガン剤をやっている間のお姉さんは、やっぱりあまり食欲はなかったようだけれど、果物とかは食べられたし、スパゲティが出た時は、「おいし〜い!」と全部食べてケロッとしていた。
私のお見舞いに来る人は、なぜかチョコレートばかり持って来てくれたので、私の冷蔵庫の中は、ギフト用の大きなチョコの箱でいっぱいだった。
お姉さんは、「甘いものが食べたくなった」と言い、私からチョコ1箱をぶんどってバクバク食べていた。


私は食後、いつも少しお腹が痛くなった。
健康だった時より腸の動きが強く感じられる。それが傷に響くのかもしれない。

「ご飯食べた後、お腹痛くなるの、早く治らないかなぁ」

すると、お姉さんが言った。

「手術の時ね、子宮が見えにくいので、腸をトレーに入れて外へ出すらしいよ。私の知り合いは、そのトレーを胸の上に乗っけられたって言ってた」

「ええっ! 腸を切って出すの?」

「違うよ。胃や肛門とはつながったまま。腸は長いから、その一部をトレーに乗せて外に置くんだって」

「ふぅん」

「子宮を取ったら、出した腸をお腹の中に戻すんだけど、その時は『どさっ』と戻すらしいよ。はじっこから丁寧に入れたりしないらしいよ。だから腸は、自分の収まりどころを探してうにょうにょ動くんで、それで痛いんじゃないの?」

そっかぁ。
収まるところに収まったら、腸の動きが痛いような感じはなくなるんだろうか?
それはそれで、私はいったん出した腸を胸の上に置くという方に興味を引かれた。
私も胸の上に置いたのかなぁ。
次にDr.パンダが回診に来た時、私はズバリ聞いた。

「先生、私の手術の時、外に出した腸をどこに置いた?」

「え? 出してないよ」

「どうやって手術したのぉ?」

「僕は腸をはじっこに寄せたり、かきわけて手術した」

そう言うとDrは、バーゲンセールで商品が山積みされたワゴンをあさる女の人みたいな手つきをした。
今になって気づいたけど、手術の様子をビデオで撮らせてくださいって頼んでみればよかったな。
今度そういう機会があったら、ダメもとで言ってみよう。


なぎさ病院の前は広い道路で、その向こうは海。
病室からも素晴らしい夜景が見え、近くにはシティーホテルがあった。
夜になると、病院の前の道路には、夜景を見に来たカップルを乗せた車が点々と並ぶ。壁一枚隔てただけなのに、こっちは病人で向こうはデートか…。
病室から彼らの車を見下ろしながら、私は言った。

「思いっきり腹立つなぁ」

病室から見えるシティーホテルには、煌々と明かりがともっている。
ホテルの一泊料金と、病院の一日の入院治療費はたぶん同じぐらいだろう。

「ここもあっちも、窓から見える景色は同じはずだけど、こっちは絶食やら浣腸で、向こうはきっとワインなんぞをカチンコしてるんだよ。差があり過ぎ〜」


ある日、お姉さんが驚くべきことを言い出した。

「私たちみたいな手術って、アメリカだと1週間もしないで退院させられるらしいよ」

「うそ〜。抜糸はどうするの?」

「外来でやってもらうんじゃないの」

「だってさ、術後1週間だったらまだ痛みもあるし、ドレンだって抜けてないじゃない。それはどうするの?」

「痛いのは、病院で寝てても家で寝てても同じだから、痛み止めを山ほど持たされて退院させられるんじゃない? ドレンは、処置の仕方を教わるんじゃないの? 溜まったら空にするだけでしょ?」

信じられないような話だったが、これは後に、かなり真相に近いと知った。
手術の方法も違うのだろうが、アメリカの入院日数は、日本とはくらべものにならないぐらい短かい。


Dr.コアラは新婚さんだった。
にもかかわらず、夜の病院でよく姿を見たから、かなりの当直数をこなしていたのだと思う。
腹部の左ドレンが抜けないために退院できず、さすがに退屈した私は、入院して3週間目頃、「外出したい」とDr.コアラに言った。

「退屈で、つまんないんだもん。たまには外に出た〜い!」

「ボクも、つまんないよ…」

新婚さんだからなぁ。奥さんの顔は毎日でも見たいんだろうと思った。


Dr.コアラの白衣はガウンでなく、白ズボンと白い上着タイプだった。
回診で病室に来た時、Drがズボンのポケットに手を入れて前かがみになると、後ろにいる人にはDrの下着の柄が透けて見えちゃう。
彼はトランクス派だった。
笑ったら失礼だし、「透けて見えてますよ」とも言えず、すごく困った記憶がある。

開腹手術の後は、笑うとお腹の傷が痛む。
そして、痛いから笑わないようにしようと思うと、逆にちょっとしたことでも笑いたくなる。
Drの透けたトランクスがおかしくておかしくて、お腹を押さえながら笑いをこらえるのに苦労した。

Drが部屋から出て行くと、「今日はブルーのしましまだったネ」と患者同士で言い合ったっけ。
キャラクター柄だったら、きっと笑いをこらえ切れなかっただろう。
Drがそういう趣味じゃなくて本当によかった。


Dr.コアラは、傷の消毒の時、消毒液をまわりに飛ばしてしまう事が多かった。
ほんの一滴のしぶきなのだけれど、病院の黄色い消毒液は衣類につくと洗っても落ちなかった。
しぶきを一番多く飛ばされたのはいぬさんで、Dr.コアラは「あ、また飛ばしちゃった。ごめん、ごめん」とよく謝っていた。

ある日、Drが消毒を終えて出て行った後、いぬさんは私に言った。

「今日も腹帯に、こぼされちゃったわ」

「にやにやしながら、『若いわねぇ。うふっ』って言ってやれば?」

それを聞いていたお姉さんがげらげら笑い出した。
きょとんとしていたいぬさんも意味がわかると笑い出し、私も笑って、3人とも「笑い過ぎてお腹の傷が裂ける〜」と言った。


私が入院したのは4月の半ば。
病棟には、ナースになったばかりの新人さんが2人いて、ある日の点滴には新人ナースが来た。
女性には血管の細い人が多く、私もそのクチ。
それに、入院生活が長引くと、刺しやすい血管が少なくなる。
新人さんだから1回では入れられないかもしれない。やだなぁ。

お姉さんは1回失敗された。
新人ナースは泣きそうな顔をして、「ごめんなさいぃぃ!」と言いながら、次の血管を探している。
これから点滴の私は、泣きたい気分になった。

そこへ、主任ナースが様子を見に来た。
新人ナースがこの部屋に来てから、だいぶ時間が経っている。
まだ全員の点滴は刺せていない。
それを見て取った主任ナースは、「後は誰の分が残っているの?」と言い、私は大喜びで腕を出した。

しかし…。
主任さん、痛いぃぃ!
よくよく考えたら、私は主任ナースに点滴してもらったことがない。
主任だから年季が入っているだろう、だからうまいだろうと考えた私は間抜けだった。
刺し直しこそしなかったけれど、刺した針を皮膚の中でぐいぐいやって血管を探している。
どえらい目にあった。

ナースが出て行くと、お姉さんが笑いながら言った。

「痛かったでしょう? あの主任さん、痛いって有名なんだよ。ぴょんぴょん、すごい顔してた」

「………」

主任ナースの点滴部分は、しばらくの間、青タンとなって残った。


婦人科の病棟には、ガン以外の病気で子宮摘出する患者さんも入院している。
私とお姉さんは、喫煙所でその中の一人と知り合いになった。
私よりちょっと年上のかもしかさんは、子宮筋腫で子宮を摘出することになり、10日間の予定で入院していた。
入院前、仕事に追われるばかりだったかもしかさんは、「自分へご褒美」ということで病室を個室にしたと言う。
かもしかさんの病室へ遊びに行った時、中を見せてもらったけれど、トイレ・シャワー・洗面台付きで、ベッドはふっかふかだった。

かもしかさんは怖がりだった。
自分から希望して個室へ入ったのにもかかわらず、病院で一人過ごす夜が怖くてたまらず、テレビをつけっ放しにして寝ているのだそうだ。
大部屋では消灯後のテレビは原則的に禁止だけれど、個室は他の患者さんがいないので、そこらへんは大目に見てもらえるらしい。
病院のテレビは有料で、プリペイドカード式だったため、つけっ放しだとカード残高がバシバシ下がってすぐ0になっちゃうけど、音がないと怖いからしょうがなくつけていると言う。

「何で怖いの?」

「入院した日、なぜか『リング』の貞子のことを思い出しちゃって、夜になったら来そうで怖い。だから気を紛らわせるために、テレビは一晩中つけておくの」

「ふぅん」

「深夜巡回に来たナースがテレビを消そうとするので、『絶対にダメ! 貞子が来るから!』って言ったら、『あなた、何言ってるんですか!?』って言われちゃったわよ」

「あの…。貞子って、テレビの中からにょーって出てくるんじゃなかったっけ?」

「………。そうだった! やめてよ〜、もっと怖くなっちゃったぁ…」

私とお姉さんはげらげら笑った。
かもしかさんは泣きそうな顔で苦笑していた。
私たちがあまり笑っているので、喫煙所にいた他の患者さんも意味がわからないまま笑い出し、そこにいた全員が笑いながら自分の身体の切ったり貼ったりした部分を押さえ、「縫った傷が開いちゃう!」と言った。


なぎさ病院の入院患者には、病院から寝巻きが貸与される。
パジャマタイプとガウンタイプがあって好きなほうが選べ、一日置きに交換してくれる。
糊付けバリバリなのが玉に傷だったけれど、自分で洗濯しなくて済むので、便利ではあった。
私はパジャマタイプを着ていたのだけれど、柄も形も好きじゃなかった。ダサイんだもん。
妊産婦さん用のネグリジェは、色も形もまずまず。
一般患者用のパジャマはカッコ悪いから、妊産婦用のネグリジェを着たかった。
でも、患者を識別するためのものだから、妊婦じゃない人は着ちゃダメなんだって。
私は腹部左ドレンや腹帯のせいでお腹回りがぽっこりし、見た目は妊婦さんと変わりないのに…。
着せてくれたっていいじゃない。ケチ!

ある日、お姉さんが私に何かを投げてよこした。
リネン棚から妊産婦用のネグリジェをこっそり持ち出して来たのだ。
「念願のネグリジェだよ〜ん」とお姉さんは言った。

さすがに着るわけにはいかず、ナースの目を盗んでリネン棚に戻しに行ったけど、ちょっとだけでも着てみればよかったかな。


オペ日の病院は、面会時間前から賑やかだ。
オペ患者の家族は、面会時間でなくても患者に付き添うことが許されていた。
オペ室に入った患者の家族は手術待合室にいられるけれど、これからオペする患者さんの家族や、オペに長い時間がかかる人の家族は、デイルームで時間をつぶすこともあった。
その日、デイルームに座っていた私は、患者さんの母親らしき初老の女性から声をかけられた。

「いつ生まれるんですか?」

私は確かにお腹回りがぽっこりしているけれど、それは腹帯だのドレンのせいだよっ!
着ているパジャマも、妊産婦用じゃなくて一般患者用でしょ。あんた、どこに目をつけてるの?
ムカッとして返事はしなかった。

しかしオババは、私を相手に時間つぶしすることに決めたようだ。
私はすっごい迷惑なんですけど…。

「娘が今日、手術なんですよ。呼ばれるのを待っているんです」

相手をしたくもなかった。
私もなかなか大変で、あなたの娘さんのことまで気が回りません!
思いっきり迷惑そうな視線を送ったのだけれど、母は強かった。
そして、オババは察しが悪く、ずうずうしくもあった。

「娘は筋腫で、子宮を取るんです。あなたは?」

このオババ、うるさいなぁ。

「私はもう取りました。卵巣も取りましたっ!(怒)」

そういうことでまだ痛いので放っておいてくださいな、という意思表示だったんだけど、オババは大バカタレだった。

「まっ、そうなの? 卵巣がないと、顔がカッカしたりしませんか?」

「しませんっ!」

こいつ、何をどうしたいのかさっぱりわかんない。
自分の身体の症状をあなたにぺらぺら話す気はありませんからね。
卵巣欠落症状についてのアドバイスもいりません。
ついでに、気やすめや慰めの言葉も期待していません。
もう、あっちへ行ってよ!

「何で子宮と卵巣取ったの?」

ここは婦人科病棟なのだから、婦人科疾患に決まってるでしょ。このボケが!
そこまで言うのか。
やるんだな、やる気なんだな?
受けて立っちゃうぞ!

「ガンだったんですっ!」

一気に気まずそうな顔になったオババは、口ごもりながら、その場を立ち去った。
ここは病院だから、いろいろな病気の患者さんがいるわけよ。わかった?
若いから、自分で動いているから、だから軽い病気だろうと思うのは大間違いだよん。
これからは、自分の時間つぶしのため、他人へ安易に話しかけたりしないように。

その後1週間ぐらい、オババの姿を病棟で時々見かけたけれど、私が近づくと、いつも相手はコソコソとどこかへ消えた。


ハムスターさんの後釜で来たペンギンさんは、何だかとらえどころのない人だった。
年齢は、私とお姉さんの間ぐらい。
ものすごく痩せていて、いつも静かに寝ている優等生。
自力では歩けず、歩行器を使っていた。
お姉さんが「あなたはどこが悪いの?」と聞くと、「私の傷跡はきれい」という答えが返ってきた。

「きれいな傷跡」があって、痩せていて、婦人科病棟のしかも私たちの部屋に来たのだから、ガンの再発や転移なのかなとも思ったのだけれど、ペンギンさんの髪の毛は長かった。そして、ふさふさしていた。
抗ガン剤治療している様子はない。放射線をかけに行っているわけでもない。
廊下で会って挨拶すると「誰だっけ?」と聞かれるし、病室内でも、何を聞いてもとんちんかんな答えが返ってくるので、どこが悪かったのか今でもさっぱりわからない。

私が翌日退院すると決まった日、ペンギンさんがぽつりと「いいな、私も家に帰りたいよ」と言った。
その言葉だけは、なぜか、とんちんかんじゃなかった。


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