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死生観

「がんになりました。死にたくありません。死ぬのが怖いんです」も、ぴょんぴょんが困る訴えの一つです。
情報交換サイトとしては、治療後のステージ別5年生存率を言えるくらいで、死への恐怖を癒したり、死を受け入れるための何かを積極的に提供することはできません。

自分のステージでの治療後5年生存率を知って、「何だ、そんなに高いのか! 自分は大丈夫だろう」と安心された患者さんに対しては、ある意味で癒しが提供できたことにはなりますが、こちらが意図して積極的に癒しを提供しているのとは違います。

病気が発見された時、十分治療可能な病状の患者さんがいたとします。
彼女は医師の提示したAという治療が納得できず、自分が「これをやりたい」と思ったBという治療をしてくれる医師を求めて、何軒もの病院を回り、どの医師からも難色を示され拒否されたあげく、最後に、彼女の希望するB治療をやってくれるという医師に出会えました。そして、成功する確率は低いという説明を了承して、治療を始めたとします。

うまく行って欲しいとは思いますが、そもそもが「成功する確率は低い」と患者本人も了承して始めた治療ですから、いい効果が出なくても、私は不思議に感じません。
ところが、納得していたはずの本人が「うまく行かなかった。何でなの!?」「先生の腕が悪かった」「別の治療にしておけばよかった」と、ぴょんぴょんに対して言い出すこともあるんです。

自分で選び、納得して行なったこととは言え、期待した結果が得られずにがっかりしている相手の気持ちを考えると、何と言葉を返したらいいのやら…。
でも、私は聞き役、カウンセラー役として生計を立てているわけではないので、「うちのサイトじゃどうにもできない問題じゃないのよぉ。かったるいなぁ」と思う時があるのも事実です。

「確率が低くても子宮が残せる治療に賭けたのに、子宮を取らなければならなくなった」というのも残念ですが、自分で納得して選択した治療の結果がはかばかしくなかった場合は、病気が進行して余命告知をされてしまうこともあります。
「手術を薦められた時に従っていれば、こんなことにはならなかった」「死にたくない!」と、ぴょんぴょん相手に反省会を開かれ、愚痴られても、これまた何と言葉を返したらいいのかわかりません。

患者本人がすでに思っているであろうことや、今さら言ってもどうしようもないこと、例えば「医師の薦めた治療をしておけばよかったね」「もっと早く、別の治療に乗り換えればよかったね」という言葉を口にするわけにも行かず、何といえばいいか適当な言葉が思い浮かばなくて、ぴょんぴょんも本当に苦しいです。

わけわからん状態になって自分を正当化し、他者に責任転嫁するような言葉を連ねる患者さんもいます。
時には、その矛先がぴょんぴょんに向かうことも。
俗に言う、やつあたりです。
「自分で納得して選んだことでしょう? 何で私に当たるの!」と喉元まで出かかることがあります。

死ぬのが怖いという患者さんに、すごく言いにくいので言えないことは…。
十分治療可能な病状の患者さんに対しては、死ぬのが怖いなら、助かる確率が一番高い治療法を選びましょう、と言いたいかな。
もしそれが子宮を取らなければならない治療だったら、死ぬことと、子宮を失うことを天秤にかけ、どちらかを選ばなければならなくなります。
本当なら、子宮が残せて、手術も入院もしなくてよくて、がんが根治できれば一番いいんですけどね。
二者択一しかできない場合もあるんです。
すごく不条理かもしれませんが、これは私にはどうにもできない問題です。
そして、選ぶまでは苦しいと思いますが、これまた、私にはどうにもできない問題です。
あなたの人生や死生観に、他人が口を挟むことはできないのです。

でね、もし、命より子宮を残すことを選び、本当に死ぬことになっちゃったとします。
ぴょんぴょんに「死ぬのが怖い」と言われても困るんです。
死ぬのが怖いのは、病気治療の情報交換じゃありません。
疼痛対策とかだったら、まだ話もできるんですけど…。
それに、いきなり死ぬわけじゃなく、ある意味ではもうわかっていたこと、予定されていた死、自分で選んだ死です。

究極のすごく言いにくいので言えないことは…。
「死ぬ確率が高いって納得して自分で選んだのですよね。今まで何やってたの? 私にどうしろと言うの?」
あ〜、でもこれは本当に言えないです。

病気がわかってから、「生きたい!」と考え、医師の薦める治療を受けていたにも関わらず、残念ながら末期になられた患者さん、病気がわかった時は、もう根治治療のすべがない状態まで進行したがんだった患者さんは、本当にお気の毒で、何と申し上げたらいいのか言葉が見つかりません。
ところが、そのような方たちは、不思議なことに、私に対して「死ぬのが怖い」と訴えられることが少ないです。
もちろん、心の中には不安や恐怖があるでしょう。
でも、ご自分なりに「死とはこういうもの」とか「後悔しないように生きる」という考えを構築され、もしも死の不安を訴えるとしたら、その場所もよくよく考えられていらっしゃるのだと思います。

ぴょんぴょん自身のステージは、5年生存率が100%ではありませんので、「たぶん大丈夫」という楽観と共に、ダメだった時のことも考えています。
私は、物事の両面を見て、その両方に対して用意をしておくのが好きです。

そして「死」について考えることは、「生きる」を考えることにつながると思っています。
つまり、私の考えは、「ちゃんと生きていないと、ちゃんと死ねない」「死について考えていないということは、生きるということについても考えていない」ということです。
それから、自分の死生観を構築できるのは自分自身だけだとも思っています。

とにかく、ぴょんぴょんはここでもそこでも、死についてエラソーなこと書いてるので、私のプライドにかけて、もし死ぬとなっても「怖い」とは何があっても言えません。
人間はいつか絶対に死ぬものと納得しちゃってるので、「怖い」と言うつもりもありません。
私には、自分なりの死生観があり、死ぬ用意もできています。
そのために、「ちゃんと生きてる」んです。
そしてみんなから「ぴょんぴょん死んじゃったけど、あっぱれな死に方だった。私もぴょんぴょんみたいな死に方がしたい」と言われるようなカッコいい死に方をして、カッコいい死体になるつもりでいます。

私が自分の死生観を構築するまでには時間もかかり、「これだ!」と思える域に達するまでは、一人で悩み苦しむ時期もありました。
なかなか辛かったので、できれば人には同じ思いはさせたくありません。
でも、人生観とか死生観は、売っているもの、人からもらえるもの、簡単に入手できるものではないのです。
自分なりの死生観を求めてもがいている方に、私の死生観を分け与えることは不可能です。
もし「この死生観が正しい」「私の死生観を差し上げます」と言い始めたら、それは宗教の分野に入ってしまうと思います。

だからね…。
「うさぎの本宅」に来て、死ぬのが怖いとか、死生観や人生観をくださいって言われても、ご希望は叶えられないのです。申し訳ないんですが。

2001.11.24   記
2005.08.31 更新


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