「いい」病院、「いい」先生
ぴょんぴょんと夫は、結婚して今の場所に移り住んで来ました。
当たり前のことですが、引っ越して来た当初は、お店、病院など、周辺施設のことは何もわかりませんでした。
新婚さんだったぴょんぴょんは、これからあるであろう妊娠・出産に備え、近所にあるめぼしい産婦人科医院や産婦人科のある病院をすべて偵察しました。
いざ妊娠した時、いきあたりばったりで決めた病院が気に入らなかったら困るなと思っていたんです。
どうやって偵察したかというと、子宮がん検診を受ける時、毎回病院を変えたの。
ぴょんぴょんが考える「いい病院」とは、「自宅から近い」「いい先生がいる」「施設がきれい」「検査設備が整っている」「産婦人科の診察室は問診・内診室とも完全に個室化している」「スタッフ教育がいい」「悪い評判がない」「待ち時間が短かい」。
ぴょんぴょんの考える「いい先生」とは、「経験が豊富」「診察が痛くない」「話をよく聞いてくれる」「検査・病気・薬についてきちんと説明をしてくれる」「優しい」。
でも、ぴょんぴょんが考える条件をすべて満たすのは難しいことでした。
多くの条件を満たす病院はあり、先生もいたけど、パーフェクトというのはなかったんです。
例えば、施設がきれいな病院でも職員の感じが悪かったり、経験豊富な先生でも口が悪かったりね。
いざという時は、ぴょんぴょんの考えてる条件に優先順位をつけて、それで選ぶしかないんだろうなぁと思いました。
こうして、自宅周辺の病院を見て回ったので、たくさんの先生にお会いしました。
この人になら診てもらいたいと思える先生はいました。
女医さんで、手が小さく柔らかいためか、診察が痛くなかったんです。話もよく聞いてくれました。
残念なことに、その女医さんはしばらくして病院を変わられたようで、見かけなくなってしまいましたが…。
反対に、この人にだけは二度と会いたくない!と思った先生もいました。
子宮がんになった時、ネットでいろいろなことを検索しました。
今は、病院を紹介するサイトもあります。
そういうサイトを巡っていると、患者がいい病院や、いい先生を紹介するコーナーもあるんですよね。
ぴょんぴょんが「この人にだけは二度と会いたくない!」と思った先生が「いい先生です」と紹介されたりしていて、「いい病院」「いい先生」って、人によって判断基準が違うんだなと、つくづく感じました。
ぴょんぴょんががんの手術を受けた病院は、100点満点に近い「いい病院」だったと、ぴょんぴょん自身は思っています。
でも、入院患者の中には、「こんな病院、変わりたい」という人もいました。
そして、ぴょんぴょんの主治医はう〜ん…。
退院までは、なかなか「いい先生」でした。
きちんと告知してくれ、手術や治療についての説明もしてくれました。
他の患者さんも「あの先生は手術がうまい」って言ってたっけ。
診察がいっつも痛いのだけが減点対象だったかな。
退院後、数カ月に一度の通院になると、主治医は「いい先生」じゃなくなっちゃった。話を聞いてくれないんだもの。
ぴょんぴょんが現在必要としている治療は、がん治療というより、傷の痛み、足の痛み、卵巣欠落症状など、手術の後遺症をどうするかという問題の方が大きいんです。
卵巣欠落症状って更年期障害と同じで、話を聞いてもらうだけでも軽快することがあるんですって。
ところがぴょんぴょんの主治医は、どうやら手術が好きで、卵巣欠落症状の治療には興味がないみたい。
ここが痛い、苦しいと訴えても、「今はしょうがない」か、「あんたは何でも痛い、痛いって言うんじゃない?」という答えが帰って来ることがほとんどなんです。
だからぴょんぴょんは、現在、具合悪いのを我慢してるだけ。
今は、術後のケアに積極的な「いい先生」を探しています。
時々、患者さんに「いい病院を紹介してもらえませんか?」と請われることがあります。
でもね、今まで書いて来たように「いい病院」「いい先生」って、個人の主観が大きく反映されます。
そして病気の状態によっても変わって来ちゃうんです。
だから、ぴょんぴょんはいい病院、いい先生を紹介することはできません。
そしてぴょんぴょん自身、人に紹介された「いい病院」「いい先生」に飛びつくつもりもないんです。
自分で見てみなくちゃ、いいか悪いかなんて判断できませんもの。
自分にとっての「いい」病院、「いい」先生が、すべての人にとっての「いい」病院、「いい」先生だとは限らないのです。
2001.2.14 記
2005.8.31 更新
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