時の変遷
昔、がんはまさに死病だった。
早期発見もできなかったし、仮に発見できたとしても根治治療するすべはなかった。
進行して痛みなどの辛い症状が出てきたら、気休めの煎じ薬などを飲んで、ただ耐えていたのだろう。
七転八倒して苦しみ死した人だって多いと思う。痛ましいことだ。
日本の子宮がん検診の歴史はたかだか30年くらいのものなんだそうだ。
それを聞いて「ええ、そんな最近までなかったの?」とびっくり。
それでも世界水準から見ると精度は高く、類を見ないほどの成果が上がっているんだって。
手術や疼痛治療には不可欠な麻酔薬が進歩してきたのは、いつ頃からだろうか。
華岡青洲が全身麻酔の薬を研究し始めたのが1785年。
20年近い年月をかけて完成した麻酔薬「通仙散」を使い、世界で初めての全身麻酔による乳がんの摘出手術に成功したのが1804年。
シーボルトがオランダ商館医として来日したのが1823年。
エーテルの全身麻酔は1842年にロングが初めてやったとか、1846年のモートンが初めてだとか…。
キュリー夫妻がラジウムを発見したのは1898年。
すべて、200年前よりこっちの話なのだ。
さらに、「麻酔薬できました」「放射能見つかりました」からと言って、それがすぐ治療に活かされるわけではない。
現在に至るまでは、麻酔薬の量がわからなくて多過ぎで亡くなったり、少なすぎて痛みのあまりショック死したり、放射能の種類や許容量がわからなくて亡くなったりという試行錯誤の時代があったはず。
放射能の研究に貢献したキュリー夫人の死因は、放射線障害による骨髄性白血病だと聞いた。
がんなどの大きな病気にかかると、いくらでも不幸な気持ちになれるし、その気になれば鬱々と一生泣いて暮らせるとも思う。
けれど、試行錯誤の時代に「これはダメじゃ〜、やり方違う〜」と命を失うことによって示してくれた昔の患者さんたちに感謝しながら、私たちに与えられたチャンスを活かすことだってできる。
どっちを選ぶかは、まさに「自分次第」。
自分がどのくらい不幸かとか、どのくらい大変かということを声高に訴えるだけでなく、現代に生まれて自分がどのくらいラッキーだったかというほうにも、目を向けるべきなんじゃないかと思う。
2003年6月27日 記
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